熊本生活も、あと3ヵ月を切ってしまった。 今日は天気が良く暖かいので、恒例の県内観光地巡り。 今回は、長洲町と和水町の旅。 ここは、玉名市岱明町にある扇崎千人塚。 何か、自分と関係がある遺構だと直感し、わざわざ車を停めて見に行った。 ずばり、島原大変・肥後迷惑の遺構であった。 |
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1793年4月1日、雲仙岳の噴火により眉山が崩壊。 有明海に津波が発生し、肥後では5520人が死亡した。 |
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この地区でも727名が亡くなった。 その後、藩主の命で、この供養塔が建てられたとのこと。 |
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東日本大震災以降、津波に対する関心が高くなった。 こういう遺構は、大変貴重な学術資料だと思う。 |
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扇崎千人塚を後にして、長洲町へ。 ここは、十二石神社。 先日、長崎から熊本に戻るときに、この前を通った。 夜中だったが、この神社の境内にある大きな岩が妙に気になった。 そのため、改めて地図で場所を調べて、今日行くことにした。 |
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神社にあった案内板によると、 熊襲征伐に来た景行天皇を追って、女官12名が日向からやってきた。 しかし、天皇はすでに都へ帰った後であった。 |
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嘆き悲しんだ女官たちは、有明海へ身投げした。 そして、身投げした女官たちは、海底の石となった。 |
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その後、加藤清正の干拓により、その石が陸地に現れるようになった。 恐れ多いので、一カ所に集められて、ここに奉祀された。 それが、この十二石神社だという。 この神社がある「腹赤」という地名も景行天皇の九州巡幸に由来する。 調べれば、この地域には、いろいろな遺構があるのではなかろうか。 大変、興味深いところである。 |
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場所が変わって、長洲町腹赤の腹栄中学校の近く。 「ぼたもちさん」へ。 |
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戦国の名将・立花宗茂の夫人「ァ千代」の墓である。 墓の形状から、「ぼたもちさん」と呼ばれている。 |
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高橋紹運の子である宗茂は、立花道雪の養子となった。 ァ千代は立花道雪の娘で、宗茂と結婚した。 武勇に長けた姫であったが、宗茂とは不仲だったとのこと。 宗茂が改易された後、ここ長洲町腹赤に隠居し、34歳で死去したという。 |
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「ぼたもちさん」を後にして、長洲町中心部へ。 ここは、藤田商店。 |
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「的ばかいだご」 長洲町の伝統的なお菓子だという。 「的ばかい」とは、近くの四王子神社で1月にある祭のこと。 この祭りの時期に作るので、「的ばかいだご」という名前が付いたそうだ。 |
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サツマイモが練りこまれた餅を餡子でくるんだもの。 あっさりとした甘さで、とても美味。 |
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四王子神社。 藤田商店から歩いて移動。 この辺りは、昔ながらの商店街である。 |
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明日1月15日、その「的ばかい」というお祭りがある。 裸の男たちが、藁と麻で編まれた「的」を奪い合うという勇壮な祭である。 |
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明日が祭りだとは思えないくらい、境内は静かだった。 |
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四王子神社のギンナンノキ。 |
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長州遭難の碑。 明治期の海難事故を後世に伝えるための碑である。 |
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古墳改葬の碑。 島原大変肥後迷惑の際に、長洲では600名が亡くなったという。 その犠牲者の墓である。 |
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救援隊並びに遭難者の碑。 こちらも明治期の海難事故に関する碑である。 海に面した長洲町ならではの遺構だ。 |
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長洲町を後にして、和水町へ。 ここは、三加和温泉ふるさと交流センター。 |
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物産館「緑彩館」。 とれたての新鮮野菜が、安い値段で売られている。 |
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三加和温泉。 多くのお年寄りが訪れていて、大変賑わっていた。 お食事処、大広間、休憩室などが充実。 大浴場、露天風呂のほか、家族湯も6室ある。 |
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家族湯へ入ることにした。 1室50分で、900円。 すごく安い。 |
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なぜか、ハート型。 何となくイヤらしい感じ・・・ もっと若い時に来たかった。 |
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家族湯には、岩風呂や円形のほか、畳が敷かれた風呂もあるそうだ。 お湯は、なめらかな100%天然で、毎日入替え。 |
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アルカリ性単純温泉。 お湯がトロトロしている。 今まで入った中でも、相当なレベルだと思う。 すごく良い湯だ。 |
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温泉センターの前には、コンビニがある。 このコンビニにも家族湯があるそうだ。 |
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和水町に来たら、やらなければならないこと。 それは、「八つの神様」ご利益めぐり。 ここは、「イボの神様」(イボ石さん)。 |
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年齢分の煎った大豆を献上し、石の上に患部をすりつけること。 こりゃ知らなかった・・・ 神様巡りをする前に、ちゃんと調べておかないとダメだな・・・ 幸い、イボでは悩んでないので、大丈夫。 |
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「イボの神様」を後にして、「胃の神様」へ向かう。 その途中、水汲み場があった。 |
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地図で見ると「野田の湧水」とあるが、これがそうであろうか・・・ |
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しばらく進むと、「胃の神様」を発見。 |
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杖がある・・・ これは、山の上に登れということか・・・ |
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山登りの格好ではなかったが、登ることにした。 和水町まで来て、簡単に諦めるわけにはいかない。 |
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なかなかハードな山道だ・・・ |
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けっこう上の方にある・・・ 息が上がってきた・・・ 胃の健康の前に、体力が欲しいところ・・・ |
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胃の神様。 どじょうを参道途中の池に入れてお供えするという習わしがあるとのこと。 |
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また、お参りを続けると、不思議と元気を取り戻すという。 この山道を何度も行き来できるのなら、虚弱ではなかろう。 そして、この目を抑えて苦しそうにしている生き物は、いったい?? |
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次に向かったのは、「性・腰の神様」。 阿蘇神社から分霊した神社であるとのこと。 |
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作りものの男根を奉納する習わしがあるとのこと・・・ さすが、性の神様。 |
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いろんなものが奉納されている。 |
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男根がいっぱい。 さすが、性の神様。 |
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奥へ行くと、男岩と女岩があった。 ここで、子供が授かるようにお祈り。 |
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次は、「歯の神様」。 近くの公民館の前に駐車して、歩いて向かう。 |
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白砂か米をお供えして参拝する習わしがあるとのこと。 |
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最近は、歯の痛みもないので、大丈夫。 |
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将来、入れ歯にならぬよう祈っておこう。 |
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歯の神様は、自動車道から少し入った場所にある。 八つの神様巡りは、駐車場がないことが難点。 しかし、整備してしまうと、風情がなくなってしまう。 難しいところだ。 |
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次は、「命の神様」を目指す。 その途中、また「歯の神様」があった。 さっきとは別のものだが、いろいろあるのだろう・・・ |
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「命の神様」。 |
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生死にかかわる病気の時、一生に一度だけ平癒を願えば、必ず叶えられる。 「八つの神様の中でも命にかかわる神様として異色の存在」とある。 |
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今のところは大丈夫だが、ここの神様のことは覚えておこう。 いつかお世話になることがあるかもしれない。 |
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八つの神様巡りの途中で、田中城跡に立ち寄った。 この石像は、肥後国衆である和仁3兄弟。 佐々成政の検地に抵抗し、隈部親永とともに肥後国衆一揆を起こした。 なかなか迫力がある石像である。 |
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田中城跡を臨む。 |
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六四郎橋。 県道拡張工事で撤去されたが、この地に復元された。 |
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田中城跡の近くにある「耳の神様」。 |
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「耳の神様」は、立花宗茂の家人であった柳川由布大炊助の墓である。 耳が不自由なため討ち死にしたが、村人により丁寧に葬られた。 嘉島町にある足手荒神のエピソードに似ている。 |
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他の神様と違って、立派な社が造られている。 |
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火吹き竹を供える習わしがあるそうだ。 耳の通りを良くするためだろうか。 |
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「耳の神様」を後にして、田中城跡へ登ってみた。 登る道はあるが、車1台がやっと通れるくらいで、すごく狭い。 |
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この植木が、柱の位置を示している。 |
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城内には、数棟の建物があったようだ。 |
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のんびりとした長閑なところである。 さすが、和水町。 |
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八つの神様巡りも、残り2つ。 ここは、「手足の神様」。 八つの神様がある場所は、幟が立っているので分かりやすい。 全部、悩まずに探すことが出来た。 |
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嘉島町の足手荒神を分霊したとのこと。 現在も当時のままの状態で安置されているそうだ。 |
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奉納用の足型や手型がある。 嘉島町の足手荒神と同じだ。 |
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蝋燭に火が灯っている。 ちょっと前にも参拝客がいたのだろうか。 |
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説明板によると、白い水が湧き出ているとのこと。 確かに、池の水が白く濁っている。 |
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ここが源泉であろうか。 「竜神がくれた乳の水」として語り継がれているそうだ。 |
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イノシシ避けの電気柵。 夜中は、電気が通っているとのこと。 怖い怖い。 |
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最後に、「目の神様」へ。 実は、この「目の神様」は三加和温泉センターから一番近いところにある。 参拝客が多かったので、最後に回ることにした。 |
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その昔、攻めてきた龍造寺軍の武士を、村人が殺害した。 しかし、それを悔いた村人たちが、その武士を手厚く葬った。 やがて、「目の神様」として信仰するようになったとのこと。 |
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八つの神様を全て巡って、思ったことがある。 それぞれの場所で、何か売ることは出来ないのだろうか。 どのくらい参拝客がいるのか分からないが、お金が落ちる仕組みが出来ないか。 農産物のほか、お守りやお札でもあれば、買う人がいるのではなかろうか。 あまり商売と結びつけるのも俗っぽいし、ベタな考えでもあるが・・・ |
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せっかく巡るのなら、何か楽しい仕掛けがあれば、もっと面白くなるのでは。 今の素朴な感じも魅力的なので、バランスが難しいところだが・・・ 酒造場もあるようだし、良質な温泉もある。 福岡にも近いので、ちょっと工夫すれば、すごく面白い地域になるのでは。 その工夫が、一番難しいところではあるが・・・ 間違いなく、とても高い潜在能力がある場所だと思う。 |
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「目の神様」の横に気になる岩があった。 |
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岩の向こうには、八大龍王が祀られていた。 |
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三加和温泉には、魅力的な家族湯がいくつかある。 ここは、その一つ「紅さんざし」。 他県ナンバーの車がたくさん停まっていた。 すごく人気があるようだ。 |
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「紅さんざし」の他にも「上弦の月」という家族湯がある。 こちらも人気の家族湯である。 長崎に帰っても、「紅さんざし」か「上弦の月」には行ってみたい。 三加和温泉は、すごく良かった。 かなりのお気に入りになった。 いろんな人に薦めたい。 |
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「紅さんざし」の入口にある「好吃の小龍包」。 小龍包のテイクアウトのほか、カフェもやっている。 |
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小龍包と酒まんじゅうを購入した。 |
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なかなかの美味であった。 次は、カフェで食事をしてみよう。 相変わらずの盛り沢山な一日であった。 風呂上りで回ったので、ちょっと風邪気味。 熊本の生活も、あと2ヶ月ちょっと。 すごく寂しいが、仕方がない。 温泉の多様性。 これは、熊本の大きな魅力だと思う。 ロケーション、泉質、由緒等々、一つ一つを見れば、大分にも勝るのではないか。 県内の温泉を十把一絡げに扱うのではなく、個々の魅力を伝えることが大事。 熊本県は、「温泉」という素晴らしい素材を活かし切れていない。 とてももったいないことだと思う。 |