◎見て、私はここにいる

  素顔さらせるネット上 

 

 静かに眠っているように見えた。ピンクのくちびる、黒いまつげ。棺に納まったリナ(19)の姿を目の前にして、喪失感が胸を焼いた。「『また会おう』って言ってたのに、本当にいなくなっちゃったんだ」。精神科医に処方された薬をため込み、一気にあおった末の死だった。インターネットを通じ、沈みがちな心を支え合った日々を思い、女子大生のアミ(20)は声を上げて泣いた。昨年秋のことだ。

 

 ▽別々の世界?

 

 出会いは二人が高校三年の秋だった。手首を刃物で傷つけるリストカットや過食症で通院するようになったアミが、同じ悩みを日記風につづったリナのホームページ(HP)を見つけた。

 電子掲示板への書き込みから交流がスタート。翌年初めには、HPの閲覧者がリナの誕生日を祝い集まった「オフ会」に参加し、初めて対面した。

 「薬の話で盛り上がった。身長が一五〇?ぐらいで小柄なのも、わたし似ていて親しみを感じた」。間もなくアミも自分のページを開き、互いの掲示板を行き来するようになった。

 「クリニック行けてない…だめだなぁ(泣)」

 「リスカはしても、過食はストップしたい!」

 「幻覚とか悪夢とか、私もひどかったよぉ」

 「この薬、ホントにラリるよね(笑)」

 学校や家庭では見せられない素顔をさらし、心の距離を縮めていく二人。それでも実名や住所は明かさず、ネット上のニックネームである「ハンドルネーム」で呼び合う関係は、最後まで変わらなかった。

 「苦しくても明るく装うのがリアルな日常。つらい時に『毒』を吐き出せる癒やしの場がネット。別々の世界として、人間関係も使い分けたかった」。身近な人の言動で傷つくのは怖いけれど、ネット上の匿名の相手なら、何かあっても傷は浅いはず―。そんな思惑もあった。

 しかし、リナの死は「混乱とむなしさでグチャグチャ」になるほどの衝撃だった。「リアルでもネットでも、大切な人を失えば心は痛い。そのことを思い知らされました」。数日後、ボロボロの状態で書いたHPの日記は弱々しい。「今は思考停止状態。リスカする気力さえない。もう…だめかも」

 リナのHPは遺族によって削除された。約一カ月後には、親しかった別のネット仲間も自殺。行き場を失ったアミの心は大きく乱れた。

 

 ▽スカスカの心

 

 首都圏の実家から列車で約三時間。二年前から大学近くで暮らすアミが、一番苦しんだのは過食症の悪化だった。

 いったんスイッチが入ると、もう止まらなかった。スーパーでは菓子パンやカップめん、総菜を手当たり次第にカゴに投げ込み、総額が三千円を超えることも。レジで「おはしは二つでよろしいですか?」と聞かれ、屈辱感に顔がゆがんだ。

 一人暮らしの部屋は、日当たりの悪いアパートの一階。冷え込む冬はコートを着たまま、むさぼるように食べた。満腹になると、太る恐怖から口に指を突っ込んで吐く。涙目になり、のどから出血した。胃酸で歯は傷み、手も荒れた。それでも、ひどい時は一日に五回も食べて、吐いた。

 「何やってんだろ、わたし」。吐いた後、貧血でフラフラになった体をベッドに横たえ、自己嫌悪に包まれて眠る気分は最悪だ。「実家の仕送りと奨学金に頼っているのに、月末の家賃の支払いが危ないほど食べてしまう。罪悪感でいっぱい」

 食べるために吐くのか、吐くために食べるのか。自問を繰り返しながら、浮かんだイメージをHPに書き散らした。

 「暗くてドロドロの底なし沼に、独りで土を投げ込んでいるような」

 「みんなが当たり前に食べているものが食べたいだけ…」

 二週に一回の通院、カウンセリングで見えてきたのは、自分の胸に空いた大きく暗い穴だった。「それを食べ物で埋めようとしてるんだと思う。でも絶対に埋まらない。で、過食も止まらない」。つらい現実から逃げたくて、リナのように処方薬を飲んで死にかけたこともある。

 「親から愛情をもらえなかったから、心がスカスカなんです」とアミは言う。

 

 ▽生きている証

 

 六歳の夏に母を病気で亡くした。覚えているのは、病院のベッドで点滴につながれ、「お母さん頑張るから」と言っていた姿だけ。置いてきぼりにされたような気持ちがいまも残る。

 母は玄米や無農薬野菜などの「自然食品」を信奉し、アミが小学校に上がるとき、自宅に近い小学校の給食を嫌って、弁当持参の学校に越境入学させたほど。自営業の父も、肉や白砂糖を使った「一般食品」を食べたのを知ると激怒し、何時間も正座で説教された。「親に温かみを感じたことはないです。いつも条件付きの愛情。そんなものは欲しくなかった」

 果てしないケンカを続ける二人の弟にもウンザリした中学時代、学校帰りにパンや菓子を買い込み、夕食前に隠れて食べるようになった。高校三年の時には吐くことも覚えた。

 「母がいないだけで苦しいのに、母の代わりに頑張っても、誰も認めてくれない」。しっかり者のお姉さんを必死で演じている自分に、むなしさが募った。

 ちゃんと見て。わたしはここにいるよ―。そんな切実な欲求は、HPを開く最大の理由でもあった。「よい子」の仮面を外し、「ただの弱い女」をさらけ出したかった。

 エッセー風、詩文風と二種類ある日記は、頻繁に更新する。「ホントは日記って苦手。ダメな自分と一対一で向き合わなきゃいけないから。でも不特定多数の人が読むネットだと、なぜか書けちゃうんですよね」。掲示板やメールで自分の存在が広く受け入れられていく感覚が心地いい。

 幼いころからのマンガ好きが進み、少女趣味の「ロリータファッション」で東京・原宿の街を歩く喜びも覚えた。大勢の通行人の視線を集め、自分の存在を確認する楽しさを感じる。

 一方で、赤くて温かい血が流れるリストカットに?生きている証?を感じることもある。最近はほとんどしないが、「深く切りすぎなければ、お金がかかる過食よりマシ」と思う自分も確かにいる。

 

 ▽ほぼ初めてのカレ

 

 「とてもとても悲しい年でした。それでも、生きていてもいいコトあるかなって思った」

 「つかまり立ちでも一人で立てるように。それが新年の目標です」

 昨年末から、日記にポツポツと明るい言葉が並ぶようになってきた。過食症は一進一退。今も一日一回は吐かずにいられないが、支えになっているのは交際を始めて一年余りの大学生アキラ(20)の存在だ。

 高校の同級生で、アミの実家近くに住む彼は「ほぼ初めてのカレ」。会えるのは二週に一回という遠距離恋愛は、携帯電話のメール交換から始まり、約二カ月で初の「お泊まり」まで進展した。

 身近な存在なのに、ネット仲間のように安らげるアキラに甘えたい気持ちは募ったが、問題は左腕を無数に横切る傷跡だった。どう告白するか。「ありのままの自分を分かってほしかったけど、どう頼ったらいいか分からなかった」

 重い雰囲気になっても救われるように、デートで楽しい映画を見る直前に打ち明けた。左腕を見たアキラは戸惑ったようだったが、返ってきた言葉は「やっぱりね」と意外にあっさり。HPのアドレスを教えると、二カ月ほど間をおいて「日記はショックだったけど、もう独りじゃないから」と励ましてくれた。

 この冬、東京で会ったアミの表情は明るかった。「人に甘えた経験がなかったので、なかなか難しい。いつも前向きな彼を負担に感じることもあるけど、いろいろ少しずつ練習中です」と顔を赤くした。

 「もうネットは要らないんじゃない?」と言ってみたが、そうでもないらしい。「彼にも直接は言えないような『毒』を吐く場所がないと、やっぱり心のバランスがとれないみたい。ネットも日常の延長だと今は思う」

 メンタル系、ココロ系などと呼ばれるHPの中でも、最近は病気を克服した人の言葉にひかれるという。

 「ささやかな幸せの見つけ方、目の向け方がすてき。私も人の役に立てる時が来るでしょうか」。真剣なまなざしを向けられ、「焦らずマイペースで」とエールを送った。(登場人物は仮名)

 

 

【記者のメモ】

◎もろ刃のネット

 

 知人のホームページの閲覧者たちが集まる「オフ会」に顔を出したことがある。参加者の多くはリストカットなどの「自傷」経験者。土曜の昼に東京・新宿の喫茶店からスタート、居酒屋、ゲームセンター、カラオケと朝まで流れていった。

 二十人ほどの男女が入り交じって談笑していた。「合コン」とも違う中性的な雰囲気の中、好きな音楽の話をしたり、こっそり処方薬の交換会が開かれていたり。大きな声を出す者もおらず、日ごろの苦しさ、つらさを感じさせない和やかな空気が印象に残った。

 だがネット上の交流が、いつも彼らに安らぎを与えてくれるとは限らない。相手の落ち込んだ気分にオンラインで“同調”してしまったり、親密な仲間の死に打ちのめされるアミのようなケースもあるだろう。いわばもろ刃だ。

 そう考えると、日常もネット空間も、人間関係に大差はないのではないか。

 心の病に悩むような人々にとって、身近にいない「理解者」を見つけやすい「出会いの便利さ」が、ネットには確かにある。でも、顔や名前、住所を知っているかどうかは、その後の交際の「質」には関係ないだろう。

 人と人がどんな関係を切り結ぶかは、当事者の意思で選び取るものだと思う。当たり前だが、パソコンや携帯は手段に過ぎない。

 

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「こんなことは言いたくなかったんですが…」とアキラが電話をくれたのは、夏の終わりの土曜日だった。沈んだ声でアミの死を告げられ、文字通り耳を疑った。二日前の晩に、ともに飲み、食い、歌ったばかり。治療に無理解な父親を説き伏せ、やっと実現の運びとなった入院の「お祝い」だった。「絶対見舞いに来てくださいよぉ!」と笑顔でにらむ顔が脳裏に浮かび、かすんでいった。

 アミは自室のパソコンの上に突っ伏して、冷たくなっていた。最期までリアルな日常とネット世界の間を漂っていたのだろうか。そばには睡眠薬など数十錠の空容器が散らばり、飲み差しの酒のビン、カンも数本。飲酒と服薬による急性薬物中毒と判断された。薬の量は致死量には遠かったが、過食・おう吐で体力が落ちていたほか、空腹も影響したらしい。遺書の類は一切見つからず、自殺なのか事故死なのかは分からずじまい。ネット仲間たちは「同調」「感染」して悲しみ、落ち込み、それぞれのホームページに思い出があふれた。

 オフ会の取材でアミと出会って二年弱。家族にうつ病の患者を抱えている事情もあり、自分にしては熱心に取材を続けた。メールや電話で相談を受けたり、たまには仕事抜きで酒を飲んだ。そんな彼女が安息を求めて入院を決め、先行きに明るさを感じていただけに、やりきれない思いが胸をふさいだ。「なぜ?」「何かサインはなかったか?」と自問自答を繰り返すばかりで、一カ月ほどは仕事も手に付かなかった。

 そんな自堕落な状態を抜け出せたのは、アキラのおかげだった。取材と称して会いに行ったアキラは、前を向こうと懸命にもがいていた。一生で初めての恋人を奪われ、理由すら分からない無念さを抱えつつ、失意の底で立ちすくむことを拒否する力強さ。そんな姿に救われた思いがし、パワーを分けてもらった。

 彼女がくれた思い出を丁寧にたたんで、大切にしまっておこう。今はそう思える。「だから、安心してゆっくり休んでな」。少し曇った空を見上げて、そう声をかけた。(山下憲一・共同通信文化部記者)