麗乃火波さんの場合

私は東京で1人目の子供、長女として生まれました。
父親は静岡出身の農家の長男、母親は東京人です。
私が生まれて最初に言われたのは、「本当は跡取りが一人だけ欲しかったのに、女が生まれちまった。しょうがないから育ててやる。」でした。
それから家族の虐待が始まりました。
父親はちょっとでも気に入らない事があると、私を追い回して殴る、蹴る、非難罵倒を浴びせ続ける。
一言でも言おうものなら「口答えしやがって」と、更にエスカレートします。
母親は見ているだけです。
昔母親に言われたのですが、私が物心つくかつかないかの頃は、私は父親に殴られ壁にぶち当たってずるずる落ちたり、もみじを通り越して1発で青あざが出来たりもしていたそうです。
そして父親は殴る時は何故かお尻などを狙わず頭を狙い、私が立ち上がる余裕もなく四つんばいになって逃げると馬乗りになり、集中的に殴られたりもしました。
頭がこぶだらけになると、私がぎゃーぎゃー泣いているのに手で無理矢理ぎゅうぎゅう膿を出しました。
私が生まれて2年後に弟が生まれました。
彼らが待ち望んでいた、男の子です。
彼らは息子を本当に可愛がりました。
殴るなんて事は絶対ありませんでしたし、どんな話もきちんと聞く。
息子に何かあると、真っ先に息子のために動きます。
私と弟がもめ事を起こすと、弟は途端に大声で泣き出し、それを聞きつけた父親が駆けつけ私のところへまっしぐらにやってきて、私は散々殴られ罵られました。
この頃の家計は、父親が資格を持っていないのに税理士の仕事をしていてそれが唯一の収入源。
仕事柄給料額は自分でいくらでも書き込めてしまうので、未だに誰一人給料額を知りません。
父親は自分が遣いたいお金を抜いた額をかろうじて家に入れ、自分は麻雀競馬パチンコ、ゴルフ三昧。
麻雀で何日も帰ってこない日もざらでした。
父親は私には「嘘はつくな」と言いながら会社から電話が掛かってくると「いないと言え!」などと目の前で嘘をつき続け、私が嘘をついた時はひたすら殴る蹴るし、更に辛いお仕置きも施しました。

それから私は、小学校に入学しました。
1年生の夏休みに埼玉に引っ越し、引越し早々からひたすら集団でいじめられました。
私は友達が一切おらず家にはまっすぐ帰り、勉強が唯一の楽しみとなりました。
「有名大学を出るのが当たり前。それ以外はクズだ。」と言う父親と、「最低短大位は行け」と言う母親は、その点に関しては文句は言いませんでした。
ですが、学校生活に関してのフォローはなし。
私は高い所に登っては「この高さなら死ねるかな・・・。」と思う様になりました。
対して弟は勉強はどんなに周りが騒いでも、絶対に大嫌いでやりません。
でも怒られる事はありませんでした。
また、小さい頃から父親の実家や、父親の親戚がチケット販売などの仕事をしていたのでタダで家族全員を特別会員に入れてくれていた「としまえん」などに連れて行かれたのですが、行く度に何かしら理由を付けて殴られました。
ある時それが余りにも嫌で「行きたくない!」と玄関先でごね、「勝手にしろ!」と家族が私を置いて家を出て行った事があったのですが、私が玄関で「これでもう今日は殴られないで済む」とほっとしていると、やがて遠のいていった足音がまた近付いてきて、青ざめている私の前に父親が現れ、殴られ引きずられて連れて行かれ、行った先でも結局殴られた、という事もありました。
また、私のいた地域の子供会では男子は野球、女子はバドミントンを必ずやらなければいけなかったのですが、父親がやって来るととにかく嫌がらせをされ。
男子の方の大会があった時は、私に黙ってプラカード持ちを引き受けてきて私に無理矢理やらせ、私が「お礼に」と言われ受け取ったクッキー缶を持ち帰るとすかさず奪い、他の家族に「お前たち、遠慮なく食べろ」と振る舞いました。
小学校6年生になり。
ある日突然父親に「入塾テストを受けろ」と言われました。
何の事だか分からず連れて行かれて受けたのですが、結果私は進学塾に合格。
塾と言う物が何だか分からないまま、「入塾しろ」と言う脅しの言葉に恐怖を抱き、入塾しました。

そして中学生になり。
その学校では必修だったクラブ活動には兼ねてから入りたかった運動部を希望しました。
ですがそれを聞くなり親は「入塾テストにいくらかかった、入塾にいくらかかった、塾の費用もいくらかかった。冗談じゃない!」と事あるごとに攻め立てました。
余りのしつこさに泣く泣く運動部を諦め文化部に入部したのですが、それを聞いた途端に親は「入塾テストにいくらかかって、入塾にいくらかかって、塾の費用にいくらかかって。それでも運動部に入りたいのなら入れ。」と言って来ました。
もう文化部に決定してしまった事を告げると、「じゃあ、自分の意志で入ったんだな。後で一切文句とか言うなよ。」と言われました。
そして、中学に入ってからはいじめが更にエスカレート。
私が頼まれると断れないのを知ったクラスのいじめグループとグルになっている他のクラスの生徒に「友達になろう」と近づかれ散々利用され、用が済むと私がぼろぼろになるまで痛めつけて捨てられる、と言う状態が続きました。
(因みに小学校の時も似たような事は沢山ありました。)
親は私に関しては成績だけを気にし、無理矢理入れられた進学塾のせいで勉強がすっかり嫌いになり、どんどん成績が落ちてゆくと、私を「クズ・カス」呼ばわりするようになりました。
やがて弟も入学してきたのですが、弟は本人の希望通り運動部に喜んで入部させ、帰宅時間に合わせた塾を探して入塾させ、本人が余りにもやる気がないので個人経営の塾などを探して、等々してあげていました。

そして高校受験。
塾の成績はがた落ちでしたが関東では比較的偏差値の高い、進学校に合格する事が出来ました。
ですがそれを聞いた親は「県下一の高校に入れるつもりで高い金払って塾に入れたのに。」と、非難してきました。
そして相当気に入らなかったらしく、「入学金は払わない。」とまで言い出しました。
大学進学当たり前、で育てられている私は焦りましたが、何も悪い事はしていない。
それなのに母親にはひたすら「お父さんに謝れ」と言われ続け、結局頭を下げ、何とか入学費を出してもらいました。
高校に入ると、父親が「知り合いからもらった」と合格祝いを持ってきました。
当時まだ出始めたばかりの、CDラジカセです。
私は喜びました。
ですが私が少し使っていると親がやって来て、「弟にやれ」と言われました。
私は必死に抵抗したのですが全くの無駄で、すぐにそれは弟の物になりました。
高校に入ると成績はますますがた落ち、私はすっかり落ちこぼれになりました。
一応運動部に入ることは出来たのですが、親の告げる門限は部活が終わって帰宅するよりも早い、PM6:00。
当時周囲の門限が終電までだった事も相まり、高校でも孤立しいじめられるようになりました。
高校1年の夏、漫画などの好きな私は同人誌即売会の存在を知り通うようになったのですが、行った先の人々は心優しく私を迎え入れてくれ、そこが私の唯一の場所になりました。
ある時即売会後の打ち上げがある、と言うので行ったのですが、早々に引き揚げて帰ったにもかかわらず「どこでやったんだ!」と親に責められ、「新宿」と言うと「そんな所に行く奴らとは縁を切れ!」と怒鳴られました。
そして、「高校生にもなって、友達の一人も出来やしねぇ。」とも言われました。
また別の打ち上げの時に具合が悪くなってしまった人がいて看病していたのですが、「具合の悪い人がいて心配だから、少し遅くなる。」と家に電話すると、「他にも人はいるだろう。そんな事してないで今すぐ帰れ!」とも言われました。
私の家庭の事情を知っている人たちなので快く帰りを見送ってくれたのですが、私は悲しい気持ちでいっぱいでした。
そしてこの頃になると母親との関係が前にも増して悪化。
私と何かもめると、父親がいない時は何も言わないのですが、いると大声でわめき、時には大泣きし。
すかさず父親がすっ飛んでくるとその時にあった事を全て私が悪いとして報告、更にこれまでにあった私に対する気に入らない事もひたすら父親が逆上するまで言い続け、父親が私に殴りかかると最初は止める様なそぶりを見せるのですが、すぐにただの傍観者と化し、父親の怒りが納まり開放され、自室で泣いていると母親がずかずかとやって来て「お前が悪い」と罵って帰って行くのでした。
やがて私の洗濯物だけ洗わない、などされるようになり、そのくせ私がやらないと非難され続けるなどしました。
それから弟も高校に入学したのですが、勉強が余りにも嫌いな為、県下で最低、あんな所に入るのはどうしょうもない人間だけだ、と言うので有名な高校にしか合格出来ませんでした。
すると親は私に「弟がどこの高校に通っているか近所で聞かれても、絶対に口を滑らすな」と口止めしてきました。
因みに私の高校受験のときは「高校を出なくても中卒で立派に働いている人間は沢山いるんだ。お前をわざわざ高校に入れてやる必要はないんだ。」と散々脅していたのに、弟の時は「中卒なんて、“おい、あいつ中卒なんだぜ”と非難されて馬鹿にされて後ろ指を指されて一生生きるんだ。恥じ以外の何者でもないんだ。」と脅していました。
そして私には絶対禁止と言っていたアルバイトを、弟には「社会勉強になるから」と言って快く許し、仕事先も探してあげていました。
この頃になると弟と部屋が別々になったのですが、弟の部屋は電話テレビ付き。
私の部屋にはその様な物は一切ありませんでした。
親曰く、「弟には犯罪防止のためにテレビを与えた。」のだそうです。
折りしもテレビで「アメリカでテレビの影響による若者の犯罪急増!!日本も増加傾向にあり!」などと報道されている頃でした。

それから大学受験。
本当に落ちこぼれもいい所になっていたので、親の主張する「有名大学」などとは程遠い大学にしか合格できませんでした。
当然、クズカス呼ばわり。
知り合いから祝いの品をもらった、と言う話も聞きませんでした。
私が大学を目指すにあたり、親は「学費などは全てうちで出す。」と言っていました。
この頃私には小学校の頃に勝手に親に作られた貯金通帳があり、親に脅されて、欲しい物も買えずにひたすら貯めて続けておりました。
大学に入学するとその通帳を奪われ勝手に解約され、利息の一円まで持っていかれました。
そして流石に大学に入るとアルバイトを許可されたのですが、稼いだお金は奪われました。
それでも全額を奪われたわけではないので、昼食は定食を頼むクラスメートを横目にご飯と味噌汁のみを単品で頼み、たまの贅沢で生卵を頼んだりしました。
また、入学したばかりの頃は授業の予習などを一生懸命やっており、それを目当てに近付いてくる人たちがいました。
ですがやがてやらなくなると、用済みとぱったり近付かなくなり、また孤立する事になりました。
小さい頃から外では女性の集団にいじめられ続けていたので特に女性恐怖症になっていたせいもあってか、大学に入って初めて入る事の出来たグループは私以外全て男性でした。
その中の一人と付き合うようになったのですが、私の精神状態が悪い事などがあったため、「最初は同情で付き合い始めたけど、もう重荷でしかない。」と捨てられてしまいました。
私が彼氏ともめている頃に弟にもどうやら彼女が出来たらしいのですが、今まで全く夫婦旅行などした事のない親が泊まりの旅行に行くようになると、親のいない時に彼女をうちに連れ込み、やがて女性のあえぎ声が聞こえたり、弟の部屋のドアは立て付けが悪く少し開いているのですが、隙間から裸の女性の姿が見えるようになりました。
私はノイローゼになり、自室のドアを背にして一日中体育座りをして聞き耳を立て、幻聴が聴こえて震え続けたりしていました。
余りにも酷い状態になり、当時私の通うゼミの教授(社会心理学者)にノイローゼである事だけを告げると、「私の妻が大学病院に勤務している。紹介状を渡すから病院に行って来い。」とすぐに紹介状をくれ、私は大学病院の精神科に行きました。
ですが、先生は良かったのですが家から片道2時間も掛かる場所にあったため、多めに薬をもらい、数回通って結局終わってしまいました。
後に親に病院に行った事がばれたのですが、以前弟と喧嘩をした時に私がウサ晴らしに大笑いをした事があり、その時に母親がすっ飛んできて「近所に知れたらここに住めなくなる。冗談でやっているならやめてくれ。」と泣かれた事があったのでその事を言うと、「私(母親)の兄は精神病で入院した事がある。だからそんな事するはずがない。また話をでっち上げて。」と非難されました。
私は余りにショックで当時の事は台詞も1つ残らず覚えているのですが、小さい頃からずっと何か言う度にでっち上げだと非難され続けているので、それ以上は何も言いませんでした。

そして大学卒業。
一般企業に合格、社会人になりました。
親には会社名と連絡先のみを告げ、会社の規模などは私は気にしていないので一切告げませんでした。
するとある日突然「結構いいレベルの会社じゃない。」などと色々と言われました。
どうやら勝手に会社の規模などを調べた模様です。
レベルの悪くない会社だと分かると、途端に「親戚からお祝い金をもらった」等の報告が入り始めました。
もちろん、私には小さい頃からその手のお金は一切渡されることはありません。
そして電話番号簿を渡され、「親戚にお礼の電話をして回れ」といつも通り部屋に閉じ込められました。
私はもらった金額や品物も分からないまま全員にお礼の電話をし、終わると開放されました。
社会人になっても人間関係には変化がなく、仕事も出来ず人付き合いも悪い私は会社の女子全員からいじめを受け、男性全員からも嫌われました。
度重なる嫌がらせを受け、家でも家族は相変わらず。
私はどんどんおかしくなっていきました。

会社に入社して1年後、この家に居たらもうまともじゃいられないから、と公団住宅の申し込みをしました。
数度の申し込み後見事部屋を手に入れ、私は家族に黙って家を出ることにしました。
ですがいきなりばたばたしたら不審がられる、と思い、親に引っ越す事だけを告げました。
すると私が家に居る時間、朝から晩までひたすら「いつ引っ越すんだ、どこに引っ越すんだ」
攻撃を延々とされ続け、根を上げた私は引越しする日程だけを告げたのでした。
そして引越し当日。
仕事で居ないはずの両親が、家に居ました。
私がまとめ、一人で2階の部屋から1階の玄関前まで降ろしておいた荷物を、父親が勝手に私の頼んだ引越し業者に運ばせ、積み方から何から完全に自分勝手に指示を出されてしまいました。
しかもなんと、引越し業者の後ろに車で勝手に付いてきて、引越し先までやって来てしまったのです。
当然住所どころか家もバレてしまい、私が玄関の鍵を開けると私が何も言わないうちにずかずかと家に上がりこみ、大の字になって寝転がり始めました。
やがて業者も帰り、親も帰らないといい加減邪魔だな、と思っていると、流石に帰り支度を始めたのですが、私が無視していると「帰るぞ」「帰るぞ!」「帰るって言ってんだろ!!」と段々言葉が荒く脅し口調になってきたため、仕方がなく玄関まで行き、親が玄関を出ると同時に鍵を掛け、一切後ろは振り向きませんでした。

こうしてやっと親と離れた、と思ったのですが、それは甘かったようです。
親はしょっちゅううちに来ては鍵を開けさせ、傍若無人な振る舞いをするようになりました。
会社でのいじめもエスカレートしてゆき、一人暮らしを始めてから初めて、「神経内科」に通うようになりました。
そこでは週に一度カウンセリングを受け、状態が変わったら診察も受けて薬を変える、と言う方針で治療を受けていました。

病院に通ってから1年位経ったでしょうか、ある日突然家の電話が鳴りました。
この頃の私は会社でのいじめが原因で出社拒否に陥り、それが理由で会社をクビになり、さらに見つけた近場でのバイトも出社拒否するようになってただただ一日寝込んでいるような状態でした。
その様な状態の中掛かってきたのは親からの電話。
「今下にいる。今から行く。」と言うのです。
私は当時、4階に住んでいました。
ですので既に下の階に親がきている、と思うと震えが止まらなくなり、「もう辞めてくれ」と一言だけ言って、電話を切りました。
すると。
ドアホンがえんえんと鳴り続け、電話がえんえんと鳴り続け、しまいには玄関をがんがん叩かれ始めました。
私は布団の中で震えながら、ただただ嵐が去るのを待ちました。
やがて嵐が去り。
私は外にも誰も居ない事を確認すると、急いで神経内科に電話をし、予約制であるカウンセリングをすぐにしてもらいました。
話をするとカウンセラーさんは「なんて酷い親だ!」とその場で憤慨してくれ、それが救いでした。

一人暮らしを始めてしばらくしてから、私は一人の男性と付き合い始めました。
バイトも半分クビになっていたような状態の時、彼は私の代わりに生活費の全てを払ってくれ、彼の家はかなり遠く、遠距離恋愛だったにも拘らず毎週末に新幹線で駆けつけてくれ、私を慰め励ましてくれました。
そして上記の件があった後、彼が「うちにくる?」と聞いてきたので、私は「うん」と答えました。
そして今度こそ、親にばれないようにこっそりと彼の家に引越しをしました。

それから2ヵ月後に入籍、翌年結婚式を挙げたのですが、義理兄夫婦が私が親を結婚式に呼ばなかったのを良く思わなかったらしく、主人の実家で会うたびにいじめられました。
義理父母は理解はあるもののやはり考えの行き違いが多く、やはりうまくはいっておりませんでした。

以上のことがあってから数年後に妊娠、昨年末子供を出産しました。
妊娠生活もあまり状態は良くないばかりで、理解がなく幼稚なままの主人と度々もめ、妊婦で自殺する者なんていない、と言うこちらに住んでから通っている心療内科の先生の言葉を返すかのように自殺未遂を繰り返し、病院に運ばれました。
そして連れて行かれるのが必ず産婦人科だった為精神的なことは何もしてもらえず、そのまま返されるばかりでした。
それでも何とか子供を産み、現在子供は9ヶ月となっております。

現在、義理父母が私がこちらに引っ越してきてから実家の連絡先を親に教えて下さったそうで、親は一度だけ来たそうです。
ですがただただ言い訳をするだけで、「用があるから」と、さっさと帰ってしまい、以後来ていないとの事です。
ちなみにその時私の結婚式の写真を見せたそうなのですが、「あげる」とも言っていないのに、勝手に持って帰られてしまった、とも。
それからは毎年お中元お歳暮を贈ってくるそうなのですが、電話が掛かってきて「荷物は届いたか」と、いっけん確認しているだけのように見えますが、明らかにお礼を強要しているであろう電話も掛かってきているらしいです。
数年前、弟から結婚し、子供が出来たと連絡がありました(弟には携帯の番号を教えてあります)が、それ以後、弟からの連絡もぱったりと止んでおります。
私はもちろん、私を育てた連中(世間でいうところの「家族」)には子供が出来た事など、教えておりません。
義理父母にも言わないようにお願いしております。

今の私は、数ヶ月前から明らかに気に入らなかったので病院を変え、かなり質の高い治療をして頂いております。
ですが原因が明らかに生い立ちから全てと言う深いものである為、回復にはまだまだ掛かりそうです。
子供がいる為に休む事も出来ず、病院からは子供をどこかに預けるように言われているため、先日保育園の入所希望所を提出してきました。
(こちらの地域では、病気が理由でも保育園に預ける事が出来るのです。)
待機児童がかなり多い地区である為、いつになるか分かりませんが、子供は1歳になる前から保育園に通うことになりそうです。
せめて1歳までは家で育てたかったのですが、それも叶わず、さらに辛い思いをしております。