ボルボックスさんの場合

私が生まれ育った家庭は傍から見たらサラリーマンの父とパート勤めの母、そして私と妹の二人姉妹という、ごく普通の核家族です。近所でも中の良い夫婦と親子、子供は近所の人に会うと良く挨拶する姉妹で通っており、何の問題も抱えていないように見られていました。ですが実際には外からは見えない様々な問題を抱えていました。

<両親の生い立ちと結婚>

父は旧家の出で、兄弟のなかで下から2番目で比較的子供時代は自由に育ったようです。事情があり祖母が若くして家を継いで、祖父が婿養子として苦労してきたのを見て育ったそうです。兄弟の仲でも(戦時中生まれの)年上の兄弟と(戦後生まれの)年下の兄弟とは祖父母の接し方が違ったらしく、年下の兄弟たちは年上の兄弟より自由に育てられたようで、今でも兄弟間での精神的な隔たりがあり特に長男との関係は余り良くありません。

母は田舎の農家の出身で4人兄弟の末っ子ですが家庭内に問題があり、幼い頃から曾祖母から嫁いびりをされている祖母、それを庇ったりする事の無い祖父を見て育ってきたそうです。曾祖母は母たち兄弟を愛し大切にする事はなく、最終的に病気で動けなくなった時は祖母と母をまるで家政婦のように使っていたそうです。

両親は見合い結婚で、お互いの事を良く知る前に話しが進んでしまい、出会って約2ヶ月で入籍したそうです。結婚当初から父は仕事の関係や付き合いで忙しく余り家に居なかったようです。結婚して一年後に私が生まれ、翌年には妹が生まれ、それから一年経たないうちに父の転勤で知る人の居ない土地に引越しました。

<子供時代>

知らない土地での新しい生活に加え、私自身歩き始めた頃に先天的な足の異常で普通に歩けなかったためそれを治療する為に約1年整体に通ったり、3歳の頃喘息を発症してその治療が始まったりと、とにかく休まる状態ではなかったようです。父は私たち子供のことはそれなりに可愛がってはくれましたが仕事で忙しいのと子供より自分の趣味と仕事を優先する状態で、家に殆ど居なかったため、家のこと全てが母の肩にかかってくるような状況でした。家計を支えるため母もパートにでるようになりました。また、母は父と仲の悪い伯父(父の兄弟の長男)から私の体が弱い事でかなり誹謗中傷されていたようです。

結果、母のストレスが発散される場が無く、その矛先が私たち子供に向けられるようになりました。特に身体的な問題を抱えていた私の方に矛先が向きました。夜間度々喘息の発作を起こしたり、体調を崩し幼稚園~その後の小学校を休んだりするたびに「あんたのせいで・・・」「あんたの行儀が悪いから、言う事を聞かないからこうなるんだ」と何度も責められました。躾も今考えてみてもとても尋常とは思えない程厳しいものでした。些細な事・・・例えば食事の時に正座を少しでも崩すと箸で叩かれたり、叱る時に夜中真っ暗な倉庫に閉じ込めたり、叱る時に包丁を持ち出して「言いたい事があるなら言って見なさい、言わないのだったらその口を切り取ってやる・・・」などと言われたりがごく日常的にありました。但し、父の居ない時だけです。父が居る時は母が声を荒らげようとすると「そこまですることは無いだろうが」と止めに入ってくるため出来なかったのです。他には安らげる時間はありませんでした。幼かった私は何時しか月を見上げて何時か暖かい母なる存在が迎えに来てくれる・・・と夢想するようになっていました。

人生で最初に経験する人間関係~親子関係が上手く築けなかったせいか、その後の人間関係も中々上手く築けずに小学生の頃いじめに遭いました。何かするとからかわれたり陰で悪口を言われたり、些細な事で学級会で問題にされクラス中から吊るし上げられたりされました。思えばこの頃既に鬱状態でした。宿題も手につかない、しょっちゅう涙が出て止まらない、初めて自殺を考えたのもこの頃でした。

中学生になって、吹奏楽部に入部して初めて自分が好きで打ち込めるものを見つけ、またそれを通じて仲の良い友達ができた事によって少しずつ明るくなっていきました。時を同じくして父の仕事が落ち着いて家に居る時間が長くなった事、また母が父を信頼できるようになった契機となる出来事があり、それ以降母のストレスが緩和されたのか親子関係・両親の夫婦関係が落ち着いていきました。

<今になって思う事>

私自身この歳になって、自分の子供時代と両親の過去なども知り、結局両親ともにアダルトチルドレンを生み出す世代的な連鎖のなかで生きてきた被害者であること、特に母は周りのサポートもなく一人負担を抱え必死で子供を育てようとしてきた事が理解できるようになりました。そのため両親を恨んだりする事も出来ず、未だに子供の頃に身についてしまった対人恐怖感など、私の中に残ってしまったマイナスの影響がそのままで感情の持って行き場が無い状態です。今でも突然フラッシュバックに襲われたり、心の中に封印してしまったのかどうしても思い出せない事も多いです。

私の中の心の闇の部分・・・今は主治医からも未だ封印は解かないように言われていますが、いずれは整理しなければならないのだと思います。整理する事が出来た時、本当の意味で鬱から解放されるのかも知れません。そのときに初めてこの世代間連鎖も止めることが出来るのだと思います。

少しでも多くの人がアダルトチルドレンを生み出す世代的な連鎖について関心を持ってくださるように、そして同じような苦しみを味わう子供がこれ以上増えたりしないように願っています。