矢車草さんの場合

<精神的虐待> 

 私の場合は、実父からの言葉や態度の、精神的な虐待でした。
身体の虐待は受けなかったため、通院してから2年半程は、それが精神的な虐待であることさえ分かりませんでした。
幼い頃から、父の言葉の暴力と恐怖に脅えていたため、幼い頃の父に関しての記憶がありません。
あまりの恐怖のため、記憶を封印していたのです。

<父母の結婚>

 なぜ、これほどの恐怖を感じたのかは、父と母の結婚のいきさつから始まります。
父と母の結婚は、祖父が母を跡継ぎにするために、一方的に決めたもので、父は婿養子でした。
母は、祖父が亡くなるまでだけの辛抱と諦めて、嫌々結婚したらしいのです。
(その頃、祖父は余命が長くないと言われていたので、母はその後すぐ離婚するつもりだったそうです)
しかし、その後祖父が長生きしたため、父と母は現在まで離婚できずにいます。

<父の生育暦>

 父は大勢の兄弟の末っ子で、父母の愛情を知らずに育ったようで、子供のまま大きくなったような人です。
小柄で痩せていて、いかにも温厚そうな人に見えますが、自己中心的な人で、些細なことで性格が豹変し、目つきが変わります。
そのうえ、喜怒哀楽の感性が人とズレていて、周りからみると非常に理解し難いのです。
(これは幼少時から、人とのコミュニケーションが、うまくとれていなかったからのようです)

<私の誕生>

 二人が結婚し、父と母と祖父(母の父)との、生活が始まります。
舅との同居で、養子の身である父は、肩身が狭かったようですが、そんな父も母と結婚できたということで、うれしかったようですが、父は母に男女の愛情よりも、母性愛を求めていたようです。
しかし、間もなく私が未熟児で生まれ、母は私の世話にかかりきりになりました。
そんな私に嫉妬心から、父は憎しみの感情を抱くようになっていきました。
ちょうど、お兄ちゃんが妹が出来た時に嫉妬するように‥‥。

<言葉の暴力>

 私は一人っ子で、母と祖父に可愛がられながらも、父には愛されること無く、憎しみの目で見られながら育っていきました。
父からは、何かを買ってもらったということも、可愛がってもらったということもありません、常に目の敵にされていました。
そして、日常のストレスを、家族で一番弱い立場である私に、家族が誰もいない時を狙って、言葉の暴力をあびせます。
どんなことを言われたかという、その頃の具体的な記憶はありませんが、恐怖にすくんでいる光景だけが思い出されます。
 
<父の性格>

 父は女性的な性格で執念深く、カッとなると見境がなくなるため、周囲は止めることもできません。
しかも悪いことに、普通の人と感性がズレているために、なぜ怒っているのか理解ができません。
それで、家族や父を本当によく知っている人は、「恨まれると何をするか分からない。
いつかは夜中に包丁を持って、刺しにくるのではないか」と、思えるような人でした。
母も父を止めることはできず、小学生だった私に「あなたが大人になりなさい」と言われて、ひたすら耐えてきました。
(母もその時はいろいろ抱えていて、私まで目が届かなかったようです)常に耐える生活を強いられ、父が反面教師となり、抑制された性格となり、母のために良い子でいることが私の使命となりました。

<イジメ>

 精神的に虐待された子供が陥りやすいそうですが、高校の時にクラブでシカト型のいじめに遭い、ミーティングと称して、同学年のほとんどの人から、言葉の暴力を受けました。
私が、イジメを受けても我慢するだけで、抵抗できなかったからです。
女性が多いクラブでしたから、リーダー格の人が気に入らないと、イジメられるのです。
今まで友達だった人も、自分がターゲットにならないように、イジメに加わりました。
クラブをやりたいために選んだ高校でしたので、その時のショックは大きいものでした。

<人間不信>

 イジメに遭って退部する際、生徒指導部の顧問の先生から、「○○さんと△△さんはキツいからなぁ‥‥」って、言われただけでした。
問題のある生徒には、指導や相談をする立場の人のはずなのに、問題の無い生徒には何も言えないのでしょうか?
せめて「何かあったのか?」ぐらいの言葉が欲しかったですが、そんな先生に相談する気にもなれず、(先生はイジメを感付いていたはずだと思うのですが)、その時以来「大人って、所詮こんなものか‥‥」と、人間不信になりました。

<私の結婚>

 私が成長した後も、ずっと恐怖感だけは残っていましたが、私が結婚して家を出たことで、大きな波もたたずに済んでいました。
実は、私が結婚したのも、とにかく実家から離れたかったからでしたが、主人の家族と同居で田舎生活にも馴染めず、ストレスの発散が苦手な私は、26歳の時に(結婚後3年)乳ガンになり、その後離婚し子供を連れて、実家に戻ることになりました。

<忘れられないひと言>

 父の記憶の無い私ですが、たった一言忘れられない言葉があります。
乳ガンの手術後まもなくの私に、「おまえなんか、あの時死んだら良かったんや!」と、異常な目つきで、怒りで震えながら怒鳴られたことです。
もちろん、そんなことを言われる身に覚えはないのですが、父の言葉はいつも感情的で、人の心を刺すようなことを言います。

<現在>

 再び両親との同居生活が始まりましたが、父はここ数年、非常に怒りっぽくなり(老人性のひがみというのでしょうか)、家族も大変迷惑しています。

<病状>

 私は、うつ症状がでて以来、父の行動や言動に過敏になり、パニックになります。
また、会社で父に良く似た性格の上司や同僚がいるのですが、その人にも恐怖を感じます。
3年程前から、うつ症状がひどくなり、仕事に支障が出たため、2年半前から心療内科に通院しています。
虐待が判明してからは、カウンセリングも受け、仕事も休職し入院もしました。
心の安定は得られましたが、父の記憶は封印されたままです。