1.ZARDのSAKAI様の闘病記

15年前、私は、他の2人と共に某市で有限会社を立ち上げ、
現在、主にコンピュータのプログラミングを行っています。
◆◆◆◆◆実家の母倒れる。その後、脳梗塞に(1999年3月30日)◆◆◆◆◆
               実家の母親が倒れ脳梗塞になり、左半身マヒで車椅子
               生活となる。親をこちらに呼ぶ/呼ばないで、心理的に心労。
◆◆◆◆◆大規模な仕事の失敗。そして、「うつ病」→「自殺未遂」(1999年11月)◆◆◆◆◆
 1999年3〜10月中旬          某社工場装置のソフトウェア開発を行う。私にとって、
               これだけ大規模な開発は初めて。
 10月中旬〜11月2日      現地にてテストを行うが、余りうまく動作しない。
               ここまでは、母親の事,この仕事の事で多少疲れてはいたが、
               「うつ」状態ではなかった。
      11月3日        結局、うまく動作せず、この仕事を半ば投げ出す形で、車で逃げ帰る。
               帰りの高速道路の運転は、気が狂ったようになってしまい、スピードが
               出せず(約60km/h)、やっとの思いで帰って来た。ここからが、
               私の急激な「うつ」の始まりである。
               この時私は、「自分はダメな人間だ」と勝手に思ってしまい、「そうだ、
               明日、自殺しよう」と簡単に決めてしまう。今思うと、ぞっとする。
      11月4日      車で朝一番、大工センターへ行き、包丁(心臓を刺すため)を購入する。
               その後、高速道路を走り、途中のサービスエリアで地図を購入し、
               死に場所を富士山の麓に決める。さらに途中で、ロープ(首吊り用)と
               カッター(首か手首を切るため)を購入する。
               車で目的地周辺を走り回るが、なかなか人気のない所が見つからない。
               適当に車を止め、カッターで手首を軽く切ってみたりする。
               所々探したが、その内に暗くなってしまい、カッターで指を切ったら
               怖くなってしまった。携帯電話で会社に電話をしたら、社長に説得され、
               自殺を止めて車で会社へ帰る。
      11月5日      社長に連れられて、近くの精神科クリニックへ行く。診断の結果は、
               「うつ病」。飲み薬(クリニックが処方してくれるので、薬名は不明)を
               もらって帰宅。

◆◆◆◆◆クリニック通院。まあまあの安定期間◆◆◆◆◆
11月中旬〜2001年9月      定期的にクリニックへ通院する。この期間が、私にとって「うつ病」の
               まあまあの安定期間だった。唯一の弊害は、一時期「過食症」に
               なってしまった事だ。それまでの私は、いくら食べようが食べまいが、
               体重は63.5kgだったのが、「過食症」になってから体質が変わり、
               一気に70kgになってしまった。また、「うつ病」特有の「便秘」にも
               悩まされた。クリニックから処方された下剤を飲む事により改善されたが、
               飲まないといつまで経っても治らないため、不安に駆られた。

◆◆◆◆◆薬が効かなくなってくる◆◆◆◆◆
10月上旬〜12月        この頃から、処方された薬を飲んでも、「うつ」が改善されなくなってきた。
               通院するたびに、薬を変えてもらったが、一向に改善されない。しまいには、
               何度も薬を変えて、元に戻すのを頼むため、クリニックの先生を怒らせる
               始末となってしまう。
               苦しいので、1日3回飲む薬を4〜5回飲んでしまう。当然、薬がすぐ
               なくなってしまい、通院期間が短くなる。
2002年1月中旬            余りに苦しいので、クリニックには内緒で、会社近くの総合病院の精神科へ
               掛持ち通院をした。しかし、応対した先生が、私の話を全然聞いてくれない。
               例えば、「仕事で車の運転をしなければならない」と告げると、
               「絶対にダメ」と言い、処方された薬を飲んだら、ろれつが回らなくなって
               しまったので、その病院の通院を辞めた。
1月中旬〜6月25日       結局、最初に通院したクリニックへ行き始めたが、相変わらず薬が効かず、
               苦しい日々を送る。このころの苦しさを物語る出来事がある。私は、毎日
               車で通勤しているが、まず、朝の7時に起きて、電気ポットのお湯を沸かす。
               お湯が沸いたら、薬をお湯で飲む。その頃の私は、薬はお湯で飲むと効くと
               信じていた。その後、薬が効くことを信じて、約1時間布団の中で
               じっとしている。その後、おもむろに起きて車を運転して、会社へ行く。
               帰宅時はと言うと、これも同じくお湯で薬を飲み、会社で1時間横に
               なった後に恐る恐る車で帰る。なぜ、恐る恐るかと言うと、朝の場合は
               まだ良いのだが、夜は後続車のヘッドライトが、自分に襲い掛かって来る
               ような恐怖心に襲われるのだ。
               そんな苦しい日々を約半年間続けていた私に、ある転機が訪れる。
◆◆◆◆◆救急車で病院へ→わめき散らし事件◆◆◆◆◆
6月26日            その日も苦しい「うつ」症状のまま会社に出勤していた私だったが、
               午後5時頃から、食欲が一気になくなってしまった。吐き気はないが、
               言葉に表せない程、お腹の調子が異様に変なのだ。勿論、晩御飯など
               食べられる状態ではない。必死の思いで車を運転し、自宅へ帰り
               風呂にも入らず、布団に入った。しかし、お腹の調子の悪さが、
               今度は、吐き気に変わった。トイレに入って吐こうとするが、一向に
               吐けない。仕方がないので、布団に入ると、また吐きたくなる。
               こんな事を何度も繰り返した。
6月27日            夜が明けても吐き気は収まるどころか、ひどくなる一方だった。
               夕方の4時になり、トイレに行く度合いも頻繁となり、もうだめだと
               思う私に残された選択は一つしかなかった。普通の病院の受付時間は
               午前中で終わりである。後は、救急病院へ連れて行ってくれる救急車を
               呼ぶしかない。しかし、当時の私は、救急車を呼ぶことに非常な恥ずか
               しさを持っていた。何度も受話器に手が行くが、すぐに切ってしまう。
               そんな事を何度も繰り返してる内に、「救急車を呼ばないと、自分は
               死んでしまう」と言う気持ちが強くなり、ようやく119をダイヤルした。
               救急車が来る間、万が一の入院に備えて、手持ちのカバンに日用品を
               入れた(結果的には、これが精神病院で役に立った)。
               15分程で救急車はやって来た。自分で何とか歩くことは出来たので、
               救急車の中に入った。救急隊員の人に「どうしたの?」と聞かれたので、
               「今、うつ病なんですが、お腹の調子が悪いんです。5日間便秘なんです」
               と答えると、救急隊員の人は「内科」と思って近くの内科のある救急病院へ
               連れて行ってくれた(その救急病院には、精神科もあった)。
               病院へ着くと、点滴を行う部屋へ案内され、まず、内科の先生が来て診察を
               した後、約1時間かけて吐き気止めの点滴をされた。
               しかし、状態が良くならないので、続けて2本点滴を受けた。
               最後の点滴を終えた辺りから、逆に吐き気(でも、吐けない)のピークは
               一気に上がり、私はとても息苦しくて、大声でわめき散らし、四つんばいに
               なり床を這いずり回り始めてしまった。しばらくして数名の看護士が来て、
               私を簡易ベットの上に無理やり寝かせ点滴を打つが、苦しいのか私は、
               床を這いずりたいのか簡易ベットの上で、大声を出してバタバタした。
               苦しいながら今でも覚えているのが、バタバタしたために、点滴の針が
               クランク型にグニャリと曲がっていた事だ。
               こんな事を続けていた私だったが、いつの間にか意識が薄らいでいった。
6月28日            気が付くと、集中治療室で寝ていた。どうやら、麻酔薬を打たれて寝ていた
               ようだ。吐き気は収まらず、CTスキャンで検査するために移動して戻って
               来た後、またベットの上で、わめき散らしてしまった。
               午後になって、精神科の先生(現在の主治医)が来てくれて、私の状態を
               診察した後、近くに身内が住んでいないかと聞くので、「○○に姉夫婦が
               住んでいます」と答え、電話番号を必死の思いで知らせた(わめき散らして
               舌がカラカラになっていたため喋るのが大変だった)。後から主治医から
               聞いた話では、この病院には精神科の入院設備がないので、近くの空いて
               いる精神病院を探してくれたとの事。この日、発作を起こした回数は2回。

◆◆◆◆◆ついに精神病院行き◆◆◆◆◆
6月29日            朝起きると、看護婦が「11時頃、お姉さん夫婦が見舞いに来てくれる」
               と言ってくれた。姉夫婦が来た時に、発作は起こさないようにと思って
               いたら、運の悪いことに、発作が起きて間もなく姉夫婦が来た。
               無様な姿を姉夫婦に見られてしまった。
               わめき散らしている私を見た涙目の実姉が一言、「もう大丈夫だからね」。
               これを聞いた私の発作は急速に収まった。本当に不思議なものだ。これが、
               姉弟愛の力なのかと思った。
               主治医は午前中、外来の診察があったので、午後2時頃来てくれた。
               先生いわく、「近くに空いている病院がなかったので、ちょっと遠い病院
               になります」。これを聞いて私は、「ついに精神病院行きか・・・」と
               思った。この時点まで私の思っていた精神病院のイメージは、
                  1)窓に鉄格子がある
                  2)私のように発作を起こす患者の場合、個室へ連れて行き、
                    ベットに縛り付ける
                  3)気が狂った人ばかりいる
               であった。
               ベットに乗せられた私と主治医,姉が救急車に乗り込み、精神病院に向け
               出発した。約1時間後に精神病院に到着。横になっているので、外観は
               良く見えないが、鉄格子はない模様。病室に運んでもらうと、ベットの
               縛り付けもない。見たところ普通の病院と変わらない。但し、周りの人を
               見るとちょっと変わった人たちがいるみたいだ。
               ここで、この精神病院の構造を説明すると、3階建てになっていて
                  3階(3病棟)・・・お年よりが入院する。 
                  2階(2病棟)・・・開放病棟。症状が軽く、近い将来退院出来る人が
                            入る。外出,外泊は自由。
                  1階(1病棟)・・・閉鎖病棟。比較的症状の重い人が入る。外出,
                            外泊は出来ない。
               となっている。私が、最初入室したのは、1病棟(閉鎖病棟)である。
               自殺防止のため、サッシは20cmしか開かない。
               朝は6時半起床,7時半朝食,12時昼食,18時夕食,21時就寝と
               なっている。食事の内容は、腹8分目程度のご飯と味噌汁,おかず1品。
               味は多少薄味。まあまあ食べられる。
               薬は毎食事の後,その他、20時に誘眠剤を服用する。
               風呂は週2回で、男女が午前,午後と分かれて入る。
               どうやら私は、精神病院に対して、「精神病院=気違い病院」という偏見を
               持っていたようだ。勿論、今はそんな偏見は持っていない。
6月30日〜7月3日        最初のうちは、ベットに横になって多少うなっていた私だが、翌朝になると
               発作は起きなくなり、ベットから起き上がれるようになった。
               周りを観察すると、昼間から徘徊している人が沢山いる。食事時になると、
               他人の食事を取ってしまう人もいた。看護婦,看護士は、戦場のように
               あわただしく動き回っている。特にやる事もないので、新聞を見たり、
               テレビを見るか、ベットで寝ているだけである。心配していた「うつ」の
               症状も出ない。不思議なもので、あれだけ苦しがっていたのに、姉夫婦が
               来てくれたのを境に病状が急激に回復しているようだ。
               私の居る部屋は6人部屋だが、一応話し相手になれそうな人は1人だけだ。
               彼に1病棟で分からない事を聞く。彼は、夜寝る前にお経を唱えていた。
               家族は予め事務所に小使いを預けていく。本人は、その小使いでジュースを
               購入する。煙草やお菓子の場合は、前もって予約をしておくと、決まった日に
               届けてくれる。
               1病棟は閉鎖病棟なので、基本的に外へ出る全てのドアの鍵はロック
               されている。この病院の場合、自動販売機は外に置いてあるので、ジュースを
               飲みたい場合には、看護婦,看護士に言ってドアを開けてもらい購入する。
               入院3日目、食欲も出て体の調子も良くなってきた頃、主治医が来て、
               「2病棟に移れるように手続きをしています」と言ってくれた。

◆◆◆◆◆開放病棟(2病棟)行き◆◆◆◆◆
7月4日〜8月5日        話し相手がほとんどいない閉鎖病棟に飽き飽きしていた私にとって、開放病棟の
               2病棟は天国のように思えた。特に仲良くなった人は5人、下は16歳の
               女子高校生から、上は50代のオバサンまで多種多様だ。
               基本的な生活パターンは、1病棟と同じだが、外出用のドアが、8時30分〜16時
               30分まで開いているので、外出は自由だ。しかしながら私の場合、地元から
               1時間も離れた所に来たために、土地鑑がない。結局、遠出の外出は出来なかった。
               食欲も旺盛で、最初は普通盛り(一般で言えば小盛り)で我慢していたが、
               お腹がすくので、”超大盛り”にしてもらった。また、話し相手が増えた事で、
               ますます私の「うつ」は収まったようだ。唯一の弊害は、便秘が治らないために、
               毎晩、便秘薬を飲んでいた事ぐらいだ。毎日が非常にのんびりしていた。
               2病棟に来て20日を過ぎたあたりから、主治医に外泊を進められるようになった。
               そこで、電車で会社へ行き、その晩は自宅に泊まって翌日また会社へ行き、
               午後、病院に戻るパターンでスケジュールを組み実行した。
               このパターンを2回、日を置いて繰り返した結果、発作,「うつ」症状が
               出なかったため、主治医の判断で私は精神病院を退院した。
               ちなみに入院費は、一般病室,食事等すべて込みで、1ヶ月約10万円であった。
               生命保険に入っている方であれば、十分まかなえる金額であると思う。

◆◆◆◆◆精神病院を退院→そして現在◆◆◆◆◆
8月6日〜11月下旬       退院後、私は会社に勤めながら、総合病院へ週1回のペースで通院している。
               主治医も私の話を親身になって聞いてくれる。本当に理解ある方である。
               経過は良好ではあるが、処方された薬は毎食後欠かさず飲んでいる。唯一の欠点と
               言えば、どこの総合病院でもありがちな、待ち時間2時間,診察時間5〜40分
               (こんなに時間を割いてくれる総合病院も余りないのでは),精算待ち時間に30分
               かかる事である。
               今私は、3年前に「うつ病」になるきっかけとなった某社工場装置のソフトウェア
               改修で、何回か車に乗り某県に行っている。行ってみて分かったのだが、3年前の
               装置は正常に動作していて、何も逃げて帰ってくる事はなかった。
               帰りの高速道路を走っている時、3年前の自分を助けてあげたいと思った。

◆◆◆◆◆「うつ」を克服して◆◆◆◆◆
               私の場合、仕事の失敗から急激に「うつ病」になり、数年の闘病生活の後、総合病院
               で、「わめき散らし事件」を起こす事により急激に「うつ」が引き始めた。
               あばれた原因は不明。一般の「うつ病」の方たちとは、また異なった治り方で現在に
               至っている。精神病院で静養したのも良かったと思っている。
               私の通院している総合病院の精神科の待合室には、毎日大勢の患者が通院して来る。
               主治医に聞いた所によると、この患者の殆どが「うつ病」との事。実に身近な病気
               だと言う事を思い知らされた。
               自分の体験から言うと、現在、「うつ病」で病院に通院しているが、経過が余り
               思わしくない方に勧めたいのが、精神病院への入院である。勿論、会社側,家庭の
               理解が得られるのが第一ではあるが、今の生活を切り離して、のんびりするのが
               「うつ」を治すのには良い場合があると思う。
               私が退院する直前にやって来たS君は、仕事に対するストレスから、「うつ病」に
               なり、約2ヶ月入院した後、元気に退院して行き、今は自宅療養している。彼の
               場合、勤めている会社が非常に理解があり、約7ヶ月の入院,自宅療養を認めて
               くれたようだ。
               「精神病院」と言うと怖いイメージを持っていた方も、私の闘病記を読んで頂ければ
               何も怖い所ではないと言う事が分かって頂けたと思う。精神病院は、どこも同じ
               ようである。現在、私のおじさんも精神病院に入院していて、先日初めて見舞いに
               行って来たが、私の入院した病院とさほど変わりはなかった。
      
               最後に一言。通院する病院にもよりますが、処方される薬をきちんと飲んで、
               あきらめずに通い続ければ、「うつ病」は必ず治ります。主治医を信じて下さい。
               私のように「自殺」と言う軽はずみな行動は、絶対にしないで下さい。
               せっかく人間として生まれてきたのですから、その大事な命を粗末にしないで下さい。
               貴方の元気になる姿を待っている家族,身内,友人,その他大勢の人がいる事を
               忘れないで下さい。
               貴方は1人ではありません。決して負けないで下さい。