2026年2月1日 年間第4主日【真福八端】― 番外編
富を求める人は不幸です。今、ここに富がないから。だから嫉妬します。目の前の楽しみを追い求める人は不幸です。楽しみは過ぎ去り、虚しさしか残らないから。だからいつも嘆きます。反対を恐れて正しいことをしない人は不幸です。自分に自信がないから。だから、いつも不安です。冷たい人は不幸です。愛を知らないから。親切にされても「当たり前」だと思います。好き嫌いや損得で動く人は不幸です。人から利用されるから。そして、信じる人を愚かだと思います。不平や不満、文句を言う人、争う人は不幸です。怒っているから。安らぐ時がありません。信念がない人は不幸です。いつも人の目を気にするから。だからストレスが溜まります。
真福八端を逆さまに見てみました。いくつか思い当たる節があるのではないでしょうか。人は幸せになろうとして、不幸になるのです。幸せは万人に共通の願いです。目的は尊いのですが、手段を間違います。だから不幸になります。世間の価値観に流されず、なんとなく従っている生き方を、見直してみる機会です。なぜなら、戦後80年が過ぎて、これまでの社会の在り方が根底から覆りそうな新たな価値観が生まれつつあるからです。これまでの「当たり前」が疑われています。80年が過ぎて、だれも幸せにならなかったからです不幸が増大したからです。
イエスは2000年前から分かっていました。「富と神の両方に仕えることは出来ない」。「損得ではなく、愛に基づいて行動しなさい」。「人の言動で左右されるのではなく、神の言葉に従いなさい」。「この世を恐れるな。私は世に勝っている」。「悪に対して悪を返すな。善で対抗しなさい」。現代社会は神を忘れ、自分中心の生き方を目指しました。それが自由だと勘違いしたのです。その結果、孤独に陥り、無理して他者の評価を取ろうとして不安に生きています。実は、幸せは求めるものではありません。「求める」とは「今、ここに無い」からです。今は不幸だと言っているようなものです。これは矛盾です。
幸せは求めるものではなく「気付く」ことから始まります。幸せは「神の愛」です。「愛する人はすべて、神から生まれ、神を知っています」(1ヨハネ4・7)。「互いに愛し合うなら、神は私たちの内に在り、神の愛は私の中で全うされます」(同上4・12)。どんな人でも、今のままで神から限りなく愛されています。本当です。私の中の欲が目を曇らせて、それを見えなくしているだけです。誠実に自分を振り返れば神の愛が見えます。忘れているだけです。生まれてきただけで神に感謝です。分かれば、誰でも「今この瞬間」に幸せになれます。