地の塩、世の光「幸せのシン方程式」

2026年2月12日

1.「成功=幸せ」ではない

 「真の幸せを手に入れるためには、意識改革が必要です。世間の発想は、快適な生活から幸福が生まれるという幻想の上に立っています。実際、何としても富と社会的成功を手に入れようと人々を駆り立てています。」(『わたしはあなたを愛している』11番参照、レオ14世教皇著)多くの人は「成功=幸せ」と考えています。成功とは、高収入、高学歴、社会的地位、権力、有名人などを指しています。これらは、すべて目に見える価値です。それは所有することであり、競争に勝つことです。聖ヨハネ・パウロ二世教皇は、人間の価値をhave, do, be(所有、行動、存在)の三段階に分けて論じています。そして、人間の真の価値は、その生き方、在り方にあると説いています。

 「モノを持つことで幸せ」になるのは発展途上国の特徴です。日本は戦後、焼け野原の無一物から出発しました。戦勝国アメリカの豊かな生活に憧れ、必死に働いて物的に豊かになることを目指しました。そして奇跡的な復興を実現して、戦後わずか19年でオリンピックを開催するまでになりました。家電「三種の神器」と言われた炊飯器、洗濯機、冷蔵庫で生活は格段に便利になりました。人々はモノを手に入れることが幸せでした。戦後25年で大阪万博を開催、戦後の貧しさから解放され、娯楽と世界に向けて発展していく新たな時代を迎えました。同時に、その副作用として公害という問題が浮上しています。もはや発展途上国の発想は当てはまりません。社会にモノが溢れ、モノを持つことが幸せに直結する時代は終わりました。ところが、人々は戦後の「豊かさ=幸せ」の成功体験を忘れられず、「もっと持てば、もっと幸せになる」と錯覚したままです。

 80年代にバブル時代を迎え、経済大国になりました。人々はモノからお金へと意識が移り、「お金=幸せ」の発想が広がりました。好景気の熱気に狂ったように金儲けに人々は走りました。それで人々は幸せになったのでしょうをか? むしろ、大切な人のきずなが壊されたのです。90年代に入り、バブルがはじけて熱気は去り、虚しさだけが残りました。それが「失われた30年」と言われる時代です。日本が先進国の仲間入りをしたとき、価値観も転換するべきでした。モノの幸せから、生き方の幸せへと変わるべきでした。今、戦後の世界構造が大きく変わろうとしています。これまでの価値観を見直すチャンスです。

2.「与える」生き方

 貧しい国はモノが必要です。そのためにお金も必要です。豊かになったのにモノやお金を求めるのは、逆にモノやお金に心が縛られているのです。それでは心の豊かさは得られません。日本は豊かな国です。だからこそ、モノやお金や地位に縛られた生き方、価値観を止めましょう。それでは幸せになれません。成功しても、みじめな人生です。モノやお金より人を大切にしなければなりません。お金のために人を利用するのではなく、人のためにお金を活用するのです。フランシスコ前教皇が来日したとき、「日本は経済優先のあり方を人間中心に変えるように」と提言しています。

 所有するとは、人から「取る」ことです。競争して勝つことは「敗者」を生みます。人の不幸の上に建てられた幸福は偽りです。真の幸福は人間関係から生まれます。「取る」のではなく「与える」ことから始まります。「私は与えるようなものを持ち合わせていません」と考える人は、まだ古い価値観にとらわれています。今、ここで与えることができます。それはモノではなく心です。与えるとは誰かのために貢献することです。誰かのために生きることです。助け合うことです。フランシスコ前教皇は「何のために生きるかより、誰のために生きるのか、という問いが大切」と日本の若者に語りかけました。

 人類は30万年前にアフリカで始まったとされます。アダムとエバは30万年前ということです。それ以後、人間は厳しい自然環境に放り出され、自然の恵みによって命を支えられ、同時に自然の脅威で命を落としました。自然に対して感謝と畏れの感情を抱きました。それが神として意識されたでしょう。人々は心を合わせて神に感謝を捧げ、力を合わせて命を繋ぎました。自分勝手な人は生き伸びられませんでした。その遺伝子は途絶えるのです。私たちの遺伝子は助け合った人々のものです。本来、人間は助け合うのが得意なのです。

 石器時代が終わり、農作が始まると富が生まれ格差社会になります。わずか7000年前です。それまでは人と人が顔を合わせて助け合う社会でした。農作でムラが形成されると社会システムが構築され、システムを通して助け合いが行われます。もう顔が見えなくなります。そこから富の奪い合いという争いが生まれます。また、悪知恵で助け合いのシステムを逆手にとって、自分だけに富が集まるような仕掛けを社会構造の中に入れ込む人が現れます。それが現代まで続いているのです。でも人間の歴史を考えれば、助け合った時代が圧倒的に長いのです。それが人間の自然なのです。現代人は不自然なのです。

3.幸せは「仕合わせ」

 「従う人は、神に喜ばれ、人々に信頼される」。初代教会の人々は主イエスに倣い、互いに仕え合って暮らしていました。異邦人はそれを見て美しいと感じて、称賛しました。現代人は「仕える生き方」とは真逆の価値観で生きています。自分の利益優先、欲望優先、権利優先です。仕えることは敗北を意味します。現代社会には「仕えたくない」という叫びが溢れています。これは悪魔が最初に神に放った言葉です。自由になりたくて神を捨て、欲望に縛られて不自由になってしまうのです。フランシスコ前教皇は、次のように記しました。「(現代は)個人的な利害に閉じこもらせる時代、権力に取りつかれている時代、多くの人々が見捨てられている時代」(使徒的勧告『信頼の道』52番参照)。

 人間は誰かのために生きるとき、人生は輝きます。人生を捧げることが美しいと教えてくれる人が必要です。他者を思いやり、仕えることの美しさを教えてくれるお手本が必要です。若者が仕えることに憧れる時代を創りましょう。マリア様も、ヨゼフ様も、羊飼いも、そして誰よりも主イエスご自身が「仕える」ことの美しさを表しています。美しい人生は、真実を生きる、善を求める人生でもあります。反対に欲に生きることは、見苦しい人生になります。

 愛の反対は無関心です。マザー・テレサによって有名になりました。感謝の反対は何でしょうか? 当たり前です。現代は目の前の人に無関心です。愛より欲が強いからです。日々の暮らしに感謝する人はいません。当たり前になっています。自然の恵み、労働の実りに気付いていないからです。しかし、人間は何万年も自然の恵みに感謝して生きてきました。助け合って干ばつや洪水を生き伸びてきました。この事実は今も変わっていません。変わったのは人間の心の方です。人の助け無しで生きていると錯覚しています。何でも買えば済むと思っていますが、いくらお金があっても、造る人がいなければ買えません。勘違いしています。当たり前は、有難いことだと気づきましょう。

 「仕える」ことは、上下関係ではなく信頼関係です。家族的な関係です。励まし、慰め、助け、支えることです。誰かの役に立つことです。その集団の一員であることが自分自身のアイデンティティーです。だから、相手も自分のために動いてくれます。お互いが仕えるとき、人間は幸せを体験するものです。これを仕事の関係にも入れることが欠かせません。今の日本は経済優先、お金優先ですから、一人一人の行動で人間優先の職場にするのです。私たちの心掛けで新しい時代を創るのです。