2026年5月10日
大阪人は自分の母について話すとき、愛情を込めて「うちのオカン」と言います。カトリック信者も聖母について話す時に、せめて「わたしのお母さん」と言いたいものです。それはマリア様の価値を下げません。お喜ばせするはずです。「聖母」だけでは、よそよそしい感じがします。先日、黙想をしていて聖母の大発見をしました。それは「聖母は本当に私の母であり、私は本当に聖母の子である」ということです。そんなことは当たり前じゃないかと感じた方、驚いたのは、その理由です。イエスは十字架の上から聖母に向かって「これがあなたの子です」と使徒ヨハネを与え、ヨハネに向かって「これがあなたの母である」と聖母を与えました。その時から、聖母は全人類の母になったと理解していました。実は、あれは単なる約束でした。結婚ではなく婚約みたいです。
本当の理由は別にあります。マリア様に教えを願いました。「マリア様、胸の内を少しだけ明かして下さい」。すると「あなたは私の子ですよ。私は本当のお母さんですよ。なぜなら、あなたには私の血が流れているからです」。考えたこともない言葉にびっくりしました。そして、創世記の言葉が思い浮かびました。「私の肉の肉。私の骨の骨」さらに「私の血の血」という言葉も浮かびました。主イエスにはマリアの血が流れています。父親の血はありません、聖霊によって宿ったから。聖母とイエスは血で繋がった本当の親子です。ところで、私たちは聖体のイエスを拝領しますが、それは「交わり」です。イエスの肉が私の肉になり、イエスの血が私の血になります。私の中にイエスの血が流れます。その血はマリアの血です。だから私は「マリアの子」なのです。
聖書は救い主のことを「人の子」と呼んでいます。もちろん、本性において「神の子」ですが、人を救うためには「人になる」ことが欠かせませんでした。なぜなら、「血でつながる」必要があったのです。血が混ざって初めて本当の家族になるからです。こうして、今度は人が主イエスを通して「神の子」に上げられるのです。詩編2の言葉「今日、わたしはお前を生んだ。おまえは私の子」。これは、洗礼を受けた人を預言した言葉です。神を信じるなら洗礼という儀式は必要ないと考える人がいますが、大間違いです。イエスの血、聖母の血が流れないなら「赤の他人」のままです。母親は血のつながる我が子のことで心がいっぱいになります。マリア様は、あなたのことで頭がいっぱいなのです。だから、日々起こる当たり前のことを一つひとつ、全部マリア様に話しましょう。あなたが話す時、マリア様はあなただけのお母さんになります。もっと親子になれます。