主の昇天「父の家に場所を準備しに行く」

2026年5月17日 主の昇天の祭日

 主の昇天、それに続く聖霊降臨によって復活節は終わりますが、救いの計画はまだ終わりません。天の父の家に人類の場所を準備したら戻ってくると約束されました。「行って、場所を準備したら戻って来て、あなたたちを私の下に連れて行こう」(ヨハネ14.3).。主イエスは再び来られます。だから聖書の最後の言葉は「マラナ・タ。主よ、来てください」(黙示録22・21)で終わっています。主との別れは再会の始まりでもあるのです。主よ、私の心に来てください。

 復活した主イエスは昇天されます。主との別れは、使徒たちにとって悲しい出来事でした。しかし、主は使徒を励まします。「私が去っていくのは、あなたたちにとって益になるのだ。(…)私が行けば、弁護者(聖霊)をあなたたちに遣わす」(ヨハネ16・7)と慰めました。この聖霊を通して、父である神と主イエスが、信じる人の心に行って、そこに住むと約束されたのです。神の愛である聖霊は、私たちに「神の子」としてふさわしい生き方を教え、永遠の命へと導きます。それは世の終わりに再臨する主イエスとの再会を準備することでもあります。

 主イエスは「戻ってくる」と話されました。「また来る」ではなく、「帰って来る」のです。主イエスにとって、私たちと共にいることが「自分の居場所」になっているのです。これは驚くべきことです。三位一体の第二のペルソナ「子である神」にとって天の国が自分の家ですが、人としてマリアから生まれた主イエスは、私たちと一緒にいる家が自分の家なのです。すなわち、わたしたち人間が主イエスと交わることで、神の家が私たち人間の家になるということです。三位一体の神の家族の中に招かれるのです。お客さんとしてではなく、血のつながった家族として、まるで結婚するかのように、神と一体になるのです。

 パウロはエフェゾの教会への手紙で雄弁に語っています。「キリストの体である教会が頭であるキリストに従うように、妻は夫に従いなさい。頭であるキリストが体である教会を愛し、教会のために命を差し出されたように、夫は自分の体として妻を愛しなさい。(…)私たちはキリストの体の部分であり(頭であるキリストと出会い)二人は一体となるのです」(エフェゾ5・22参照)。復活したイエスが昇天する意味は、イエスを通してご人性が三位一体に入ることでした。それは、マリア様から受けた肉、骨、血が天の父の家に受け入れられることです。これによって、世の終わりに、私たちも主イエスと同じように肉体を取って新しい人間として復活するのです。これこそが救いの計画の完成なのです。「主よ、来てください!(マラナ・タ)」