2026年6月17日 身体の神学(3)
人間は「小宇宙」と呼ばれ、物質界は人間を通して神を愛します。この自然界は人間の身体を通して救われるのです。そして人間も身体を通して救われます。まず、救いはイエスの御血によって実現しました。なぜ血を流す必要があったのでしょうか?皮膚病なら、「清くなれ」と命じれば赤ちゃんのような肌になりました。しかし、罪は霊が自由に神に背いたので、自由を通して救いを受け入れることが不可欠でした。神の愛と救いの意志が見える必要がありました。それが「友のために命を捧げる(血を流す)」というイエスの行為でした。見える身体を通して、見えない救いの恵みを受け入れることが可能になりました。
次に、「聖なる体」つまり聖体によって救いは各自において実現するという事実です。「私の肉を食べ、私の血を飲むなら、永遠の命を得る」(ヨハネ6.33)と断言されています。聖体はイエスの身体であり、マリア様から受け取った血肉のことです。また「私を食べる人は、私によって生きる」(ヨハネ6.37)と言われます。敢えて「食べる」という人間的な行為を示す言葉を使うのは、救われる私たちも身体を通して恵みを受けることを明らかにするためです。気持だけでは不十分です。霊における信仰だけでも足りません。身体を伴うことが条件になっています。なぜなら、身体も救いに協力すべきだからです。
秘跡はすべて「身体を通して」恵みを受けるようになっています。死者の霊に洗礼を授けても無効です。死者は聖体を拝領できません。死者は罪のゆるしも受けられません。死者の霊は自分で改心すら出来ないのです。何も出来ないのです。しかし、「私を食べる人は、死んでも生きる」と保証されています。聖体を「拝領する」とは、イエスと交わることで、パウロによって結婚と比較されています。結婚した男女が心身共に一体になるように、恩寵の状態の人が聖体を受けると、心身共にイエスと交わり、地上において未完成ながら一致が始まります。死んでも生きるのは、この交わりが原動力なのです。
そもそも人間は「身体と霊」によって出来ました。死とはこの二つが分離することです。身体を失った霊は、もう人間とは言えません。まるで幽霊です。こんな霊がどうして天国に入るのでしょうか?答えはシンプルです。天国には昇天した主イエスの身体があるからです。幸いな霊は天に上げられて主イエスの身体との交わりの内に生きるのです。だからこそ、地上に生きる時から聖体のイエスを受けて、イエスの心身と交わることが救いの道になるのです。
身体の神学(1)と(2)はYouTube「小寺神父様のお話」から見ることができます。以下をどうぞ(それぞれ約30分)。