戸口民也
教皇フランシスコが、回勅『ラウダート・シ』に続き、
使徒的勧告『ラウダーテ・デウム』で述べていることを、簡単にまとめてみました。
『ラウダート・シ』から8年、教皇フランシスコは新たに使徒的勧告『ラウダーテ・デウム』を発表し、気候危機について再び警鐘を鳴らしています。教皇の言葉を聞きましょう。
「時の経過とともに、わたしたちを包容する世界が崩壊しつつあり、また限界点に近づきつつあるかもしれないのに、わたしたちの対応は不十分だということがわかってきました。そうした可能性に加えて疑いえないのは、たくさんの人の生活と家族が気候変動の影響によって、ますます傷つけられるだろうということです」(2)。 「これは地球規模の社会問題であり、また人間の生命の尊厳に密接にかかわる問題です。(・・・)過去8年で得られた考察と知識は、以前述べえたことをより明確にし、補完してくれます。そしてまた、状況が現在いっそう切迫しつつあるゆえに、わたしは、この文書を皆さんと共有したいと思います」(3~4)。
1 地球規模の気候危機
「気候変動の表れは現に存在しており、ますます明白なものとなっています。極度の異常気象、頻繁に訪れる異常な暑さ、干ばつ、その他、地球の悲鳴にも似た訴えを、近年わたしたちが目の当たりにしているという事実を無視できる人はいません。それらは、あらゆる人を脅かす沈黙の病の、分かりやすいいくつかの表れにすぎません。(・・・)人類によって引き起こされた特定の気候変動が、極端な気象の頻発と激化の確率を著しく高めているということは検証可能です。ですから地球の気温が0,5℃上昇するごとに、ある地域では豪雨と洪水が、別の地域では深刻な干ばつが、あちらでは極端な熱波が、こちらでは大雪が、その頻度と度合を増すことも、わたしたちは分かっています。(・・・)気温上昇が二℃を超えると、グリーンランドの氷冠と、南極大陸を覆う氷の大部分が完全に溶けてしまい、甚大で莫大な影響がすべての人に及ぶのです」(5)。
「わたしたちが現在経験しているのは、たった一世代で(…)検証しうる速さで進む温暖化の異常な加速なのです。海面の上昇と氷河の融解は一人の人が生きている間に容易に感知できるほどのもので、おそらく数年後にはその事象ゆえに、多くの人が住居を移さなければならなくなるのです」(6)。
「異常な症状は、同一原因――地球の温暖化を引き起こす地球規模のアンバランス――が取りうるさまざまな表出形態の一つにすぎない」のです。「それを局所的要因によってその大半が説明できる散発的・突発的な出来事と混同してはなりません」(7)。
「適切に管理された再生エネルギーへの移行は(…)さまざまな分野で膨大な雇用を生み出しうるもの」ですから、「政治家や企業家は、すぐにでもそうしたことに関心を向けるよう求められています」(10)。
「もはや気候変動の原因は人間――つまり「人為的」――であることは疑いようがありません。過去五十年間で気温は、過去二千年の間に例のない速度で上昇していることが立証されています。(…)こうした地球規模の気候現象と、とりわけ二十世紀半ば以降の温室効果ガス排出量の加速度的増加との相関関係を覆い隠すことはできません」(11~13)。
「海洋の地球規模の温度上昇、酸性化と含有酸素の減少など、今の気候危機の一部は、少なくとも数百年間はすでに不可逆です。(…)大陸氷床の後退についても同じことが言えます」(15~16)。「わたしたちが臨界点に近づきつつある可能性が現実であることを無視してはなりません」(17)。「予想外の大きな変化」が起きれば「取り返しがつかなく」なるのです。「その可能性は依然として残ることは確かです」(同)。「わたしたちに問われているのは、この世を去った後に残るであろう遺産についての確固たる責任にほかなりません」(18)。
2 増長する技術主義パラダイム
教皇フランシスコは「怪物のごとく自己増殖」する技術主義(テクノクラティック)パラダイム、「テクノロジーの助けを借りれば能力と可能性を無限に拡張できる、限界なき存在たる人間という考え方」に警鐘を鳴らし(21)、「力の増大がすべて人類の進歩だとはいえ」ないことは、「人口制限、原子爆弾投下、民族殲滅に使用された諸技術について考えるだけで足りる」はずだと指摘します(24)
「わたしたちを取り巻く世界は、搾取や、抑制なき利用や、飽くなき野心の対象ではありません」(25)。「健全なエコロジーは、人間と環境との相互作用に由来するもの」です。「現今の大問題は、技術主義パラダイムがそうした健全で調和の取れた関係を破壊してしまったことにあります」(27)。
わたしたち人間の力は「ここ数十年のうちに猛烈な勢いで増大し(…)、強烈で圧巻の技術進歩を遂げてきたものの、同時に、多くの生き物の生命とわたしたち自身の生存とを脅かしうる非常に危険な存在になって」しかいました。わたしたちはそのことを認めねばなりません(28)。
「著しい環境変化や高レベルの汚染をもたらすプロジェクトの実施計画」は「世論を形成するために用いる便利なからくり、マーケティングや偽情報によって偽装され」実行され、「多くの人たちにも害となる地球規模の損傷を残すことになるのです」(29)。「核廃棄物の保管所になるのと引き換えに」受け取った金で買った家が、「その後発生した病の数々で墓になって」しまったようなことは「わたしたちが実際に経験してきた」ことなのです(30)。
わたしたちは自分自身に問わねばなりません、「わたしの人生の意味は何か」、「わたしの働きと努力のすべてには、究極的にどんな意味があるのか」と(33)。
3 国際政治の弱点
「堅実で永続的な前進のためには多国間協定を優先すべき」だと教皇フランシスコは強調します(34)。ただしそれは「政治情勢の変化や、特定の少数者の利害に振り回されることなく、安定した実効性を有する多国間主義」(35)、「新たな世界情勢を考慮に入れつつ」再設計、再創造されたもの、「国連がなしえない実効力ある動きを、市民社会が市民組織とともに」創り出すことができるようなものでなければなりません(37)。
「ポストモダン文化は、より傷つきやすく、より力の弱い者に対する、新たな感覚を生み出しました。(…)すなわち、人格としての人間を第一に据え、あらゆる状況を超えて人間の尊厳を擁護すべきであるというものです。それが、人類が抱える真の問題の解決に資する、すなわち、何よりもまず人格の尊厳の尊重を保障する、多国間主義を求めるもう一つの理由であり、そうなることで、倫理が局地的利害や状況次第で変わりうる利害に勝るものとなります」(39)。
「新興の国々が頭角を現しており、実際に、パンデミック期にその一部の国に見られたように、具体的な問題の解決において重要な結果を出しているのが認められます。いかに小さな国であっても、あらゆる国が問題への答えを出しうるという事実にこそ、多国間主義は避けてはならない歩みであることが示されているのです」(40)。
「わたしたちの世界はすさまじく多極化し、同時に複雑化するあまり、今とは異なる、効果的な協力体制を必要としています。(…)基礎の基礎である人権、社会権、ともに暮らす家である地球の保護、これらの遵守を強固にするための課題に地球規模の機構をもって対処する必要についても考えていかなければなりません。こうした地球規模での保護を『保障』せしめる、地球規模での実効力あるルールの確立が肝心です」(42)。
4 気候会議――前身と失敗
これまでの数十年間、気候変動の問題に取り組むために190か国以上の代表者が定期的に締約国会議(COP)を開いています。京都で開催されたCOP3(1997年)では「温室効果ガスの総排出量を1990年と比較して5パーセント削減するという目標が設定されました」が、その目標は達成されませんでした(44)。
パリで行われたCOP21(2015年)では「地球平均気温の上昇を産業革命以前よりも2℃未満に保ちつつ、さらに1,5℃に抑制することを目指す」という目標が掲げられました。しかし「各国目標の比較のための一般基準を調整する作業は、いまだ継続中で(…)、実際の成果をより客観的(定量的)に評定することが難しくなっています」(47-48)。
その後も多くの「努力目標」が掲げられましたが、「現実的な効果は見通しがたいものでした。汚染性の少ない代替エネルギーへの迅速かつ効果的な移行を確保しようとする提案は進展を見ませんでした」(49)。
さらに、ロシアによるウクライナ侵攻は深刻な経済・エネルギー危機を引き起こしました。石炭使用量が増加し、「開発途上国は、エネルギー入手や開発機会を緊急の優先事項としていました。可燃性燃料が依然として世界のエネルギーの80パーセントを賄っており、その使用量の増加が続」いています(50)。
シャルム・エル・シェイクでのCOP27(2022年)では、「気候災害で最大の被害を受けている国々の『損失と損害』に対する資金調達システムを強化するうえで一歩前進」がありはしましたが、「多くの点が、なかでも寄与すべき国々の具体的責任が、あいまいなままにとどまりました」(51)。
国際交渉は「地球規模の共通善よりも自分たちの国益を優先する国々がとった立場ゆえに、有意義な進展が見られ」ずにいます。そのために苦しむ人々は「こうした良心と責任感の欠如を忘れはしないでしょう」(52)。
5 ドバイでのCOP28に何を期待すべきか
教皇は訴えます、ドバイで開催されるCOP28に対して「何も期待しないと口にするのは、全人類を、なかでももっとも貧しい人を、気候変動の最悪の影響にさらすことを意味するのですから自殺も同然です」と(53)。「自分たちの些細な利害を越えて、より大きな視野に立って考えることができるという人間の能力に信頼するなら、COP28が(・・・)実効的な約束を伴った、エネルギー転換の決然たる加速をもたらすという希望を捨てはしないはずです」(54)。
「地球規模の温室効果ガス排出量は増加し続けています。(・・・)クリーンエネルギーへのしかるべき移行や化石燃料の放棄は、必要な速さでは前進していません」(55)。「このままのペースで行くと、わずか数年で努力目標の上限1,5℃を超え、その後間もなく3℃にまで達して臨界点を迎えるリスクが高いことをわたしたちは知っています。」その結果は破局的なものとなるでしょう(56)。そうした状況を踏まえるなら、「将来の問題はすべて新たなテクノロジーの介在で解決されるであろうと仮定することは(・・・)殺人的な実用主義です」(57)。
「これはあらゆるレベルにおいて人間的で社会的な問題」です。「だからこそ、全員の関与が求められるのです」(58)。「効率的で、強制力があり、監視が容易、という三条件を満たす、拘束力あるエネルギー転換の枠組み」を構築し、「大胆で、集中的で、全員の約束にかかっているという三つの要件を特徴とする、新たなプロセス」を始めましょう。「この種のプロセスだけが国際政治の信頼性を回復させうる」のですから(59)。そして教皇は続けます、「会議の参加者たちには、特定の国や企業の短期的利害よりも、共通善と子どもたちの将来とを考慮できる戦略家」として、「政治の恥でなく、政治の高貴さを証明」してほしいと(60)。
6 霊的な動機
「本物の信仰は、人間の心を強めるばかりでなく、生き方を変え、わたしたちの目標を変え、他者へのかかわりや全被造界とのかかわりを照らし導いてくれる」と教皇フランシスコは訴えます(61)。聖書にあるように、「地と地にあるすべてのもの」(申命記10・14)は神のものですから、「知性を賦与された人間は、自然のおきてや、地上の被造物間に存在する繊細な平衡状態を尊重」する責任があるのです(62)。わたしたちは、「気候危機によって多くの生物のいのちが危険にさらされていること」に無関心ではいられません(63)。「人間のいのちは他の被造物なしでは理解することも持続させることも不可能」です(67)。「人間は自律的で、全能で、限界なき存在であるとする考えを捨て、より謙虚でより実りあるしかたで自分たちを認識できるよう、考えを新たにしましょう」(68)。
教皇はわたしたちに呼びかけます、「わたしたちの住まいである世界との和解のこの旅路に加わり、それぞれ固有の貢献で世界をより美しくしてください。そうしたわたしたちの取り組みは、人格の尊厳と最高の諸価値とに関係があるのですから」(69)。「文化の転換がなければ、ライフスタイルや社会通念の成熟がなければ、永続的な転換はなく、また、一人ひとりが変わることなくして文化の転換はないと、胸に刻む」べきです(70)。
「汚染や廃棄物の削減、そして賢慮ある消費という各家庭の努力が、新たな文化を創出しています。(…)数値化という視点からは目立った効果が即座に生み出されなくとも、社会の奥底から頭をもたげてくる内的変化の大きなプロセスをもたらすこと」ができるのです(71)。そうしてわたしたちは「真心から互いを気遣う道を進むのです」(72)。
「神をたたえよ」――なぜなら人間は、神に代わる存在になろうとするとき、自分自身の最悪の敵になるのですから(73)。