私(YASU)は下記する”ひらめき”によってうつ病から脱する事が出来ました。
もちろん、抑うつ症状がひどい時には考える事自体が苦痛ですから、抗うつ剤が効いたおかげで脳内の神経伝達が正常に戻り(というより躁転していたかもしれません)、ひらめいたのだと思います。
もともと、科学全般、哲学的な事や神学的な事にも興味があり、そのような雑多なデータが頭の中にフローしていて、あのひらめきの瞬間にそれらが意味をなす形で結合した。そんな感じかなと思っています。
いずれにしてもこの世に対する認知を改める事によってうつの絶望感から逃れる事が出来たのは確かです。
そして、後に、全く同じではないでしょうが、似たような認識は認知療法というものを使って得る事が出来、誰もが生きやすい考え方を身につけられるのだという事も知りました。
世界は、自分の考え方を変える事で変えられるのです。
1.ひらめきの走り書き ・私がこの世(世界)と思っているものは更に大きな物(本質世界)の一部分にすぎない。 ・私が世界と思っているものは、私が目で見、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、舌で味わい、手で触った情報から、私の脳が作り出した幻影にすぎない。 ・従って、私が居るからこそ、世界がある。 ・私が居ない世界など、意味がない、考えるのも馬鹿馬鹿しい。 ・なんとなれば、私が居なければ、世界は存在しないに等しいからだ。 ・従って、この世の全ては自分の心が作り出している妄想(虚構)と考えられる。 ・そういう自分が作った虚構世界の中でもがき苦しむのは、なんと馬鹿げた事か!!。 ・自分の心がイヤダイヤダと勝手に決めているのだ。 ・もし、この世界全てが嫌で、絶望に充ち満ちていても、それは、自分が世界をそういうふうに創造しているからだ。 ・全て自分に内因している。 ・自分が作った世界であれば、絶望も自分の考え方しだいで、希望に変える事が出来るはずである。
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2.ひらめきの再考('02/05/07) 私がこの世(世界)と思っているものは更に大きな物(本質世界)の一部分にすぎません。 |
*1:私は還元論者ではありません。色という物が可視光線の波長の違いを識別する物である事は確かですが、だからと言って意味がないとは思っていません。 色があるからこそ自然の美しさや絵画に感動する事が出来るのですし、そういった感情こそが人を突き動かす原動力である事も認めます。 私は物事は自分の感じた事が全てではなく、幾通りにも解釈出来るという事、その事を知っている事が大事なのだと思います。 例えば、他人が自分に対して悪い評価を下したとしても、それは真実とはほど遠いのです。ストレートに受け止めてはいけません。 他人も自分も物事の一部分しか見えてはいないのです。 |