NOPPO様の闘病記
これは、私、NOPPOの発病前から現在までを記載したものです。
興味のおありの方は一読ください。
(NOPPOのプロフィール)
年齢:44歳(‘03年現在)
性別:男
家族:妻、長男、長女、次女そして自分の両親と同居中
仕事:大手電子部品会社勤務
役職:課長
年月 |
出来事 |
肉体面 |
精神面 |
今思うこと |
95年4月 |
新規開発品の生産部門に異動。(従来は、品質管理部で係長をしていた。) |
体調良好。 |
やる気満々。 体調万全。 (従来から仕事人間で残業、休出多々有り) |
新規事業に抜擢され意気込みすぎていた。 |
97年7月 |
同部署で、課長に昇進。 (当社最年少課長となり、実質上の同部署の工場長的な立場となる。) |
体調良好。 |
責任感が人一倍強い私は、責任の重さを感じた。 |
必要以上に責任の重さを感じていた。 |
99年7月 |
98年に入り仕事が急激に忙しくなる。毎日深夜帰宅。 休日出勤も当たり前になる。 |
慢性疲労により、倦怠感、めまいを感じるようになる。 7月に会議中に倒れる。(その後一週間休み、勤務再開) |
製品の納期、品質問題、人間関係等ストレスを感じはじめる。(それまでは「ストレスって何?」というくらい感じた事が無かった。) |
24時間仕事の事を考えるような生活が続き、それが当たり前のように思ってしまっていた。 |
99年9月 |
その後、会社で再度倒れ、 個人医の耳鼻科を受診。 メニエール病と診断される。 その後、総合病院で耳鼻科と内科受診。内科では高血圧と診断される。 |
体調はよくならず、慢性的に、めまい、ふらつき感が続く。 |
この事業は、自分の力では成功しないと自責の念にかられる。 |
一人で問題を抱え込みすぎていた。 |
00年8月 |
再度、会社で倒れる。 心療内科を初めて受診。 うつ病と診断される。 |
特に、起床時に体調が悪く、出社するのが苦痛になる。 思考力もだんだん低下していく。 |
自責の念、憂鬱な気分が続く。 |
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00年9月 |
一度目の休職を取ることにする。 |
少しずつ、体調面は回復傾向となるが、不定期に波があった。 |
会社から開放され、気分的に楽になったが、休んでいる自分を責めるようになる。 |
少し休めば治ると軽く考えていた。 |
01年5月 |
半年間の休職後、復職予定だったが、予定日の迫ったある日曜日、帰宅後、過呼吸があり、ベッドで動けなくなり救急車で病院へ。パニック障害と診断され、休職を延期することとする。 |
回復傾向にあったがやはり、不定期に波があった。. |
朝起きられない事が多くなる。 「早く復職しなければ」と、焦る気持ちが大きくなる。 |
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01年12月 |
同一部署に復職。 |
また、以前同様の忙しい業務を再開。 思考力低下により、以前のように業務遂行出来ず。上司は業務量を減らしてくれるも逆効果。 |
従前通り仕事が出来ず、仕事を減らされ 「自分はダメだ」と思う日が続く。 |
もう治ったとばかりに、又バリバリ仕事が出来る、しようと無理をした。(見切り発車だった。) |
02年2月 |
2度目の休職に入る。 4月末に激鬱状態になり病院にて5日間連続2時間の 抗鬱剤の点滴を受ける。 これを境に体調が良い事が多くなる。 |
当初、ふらつき感、倦怠感は、なかなか抜けず。 5月より体調がよくなり、トレーニング施設等で運動も始める。 |
強い絶望感が続く。 5月よりいい意味で 「何とかなる」と、開き直る。 |
4月末の激鬱状態の後、考え方がまったく変わった。 |
03年1月 |
自社の協力工場で「リハビリ出勤」を開始する。 1月:午後のみ半日勤務 2月、3月:終日勤務(但し残業は無し) |
好不調の波は小さくなり、体調のいい日が続く。 |
本格的な復職に向けてゆっくりやっていくよう努める。 |
「リハビリ出勤」は、体を慣らす意味でも、とてもじゅうようなことだと思う。 |
03年4月 |
従来とは別の部署に復職 |
部署の変更、「リハビリ出勤」の効果も有り、今回はスムーズに新たな気持ちで業務に取り組めており、体調も良い。 |
とにかく焦らずのんびりやる事を心がけており、精神的にも落ち着いた状態が続いている。 |
「のんびりやる」 「ゆったりやる」 「ゆっくりやる」 「焦らない」 そうすれば 『何とかなる』 |
自分の経験上思うこと
この病気は治る。
→最初は軽く考え、病気をこじらせてしまった私ですが、『服薬と心身の休養』さえしっかりとれば、必ず治ります。
考え方をかえる。
→性格を変えるのは大変ですが、考え方を変えるのはそうでもないはずです。
私の場合は、『何とかなるさ』と開き直れたのが良かったと思います。
環境をかえる。
→私の場合は、職場での激務、中間管理職のストレスが発病の原因だったと思います。
そのような場合は、会社を辞めないまでも、部署を変えてもらう、担当を替えてもらう等の対応も有効だと思います。
家族の理解、支え。
→家庭を顧みず、仕事に没頭していた私ですが、妻や両親は、この病気を理解して私を支えてくれました。とても感謝しています。
迷わず精神科に行こう。
→私自身も最初は抵抗が有ったのは事実ですが、普通の病院と一緒です。
早期発見早期治療のためにも、心当たりがあればためらわず受診してみましょう。