そううつ様の闘病記
時期 | 症状と苦しみ | 気持ちとひらめき |
1992年頃 | 子供の腫瘍ができて不安になる。 |
とにかく、焦っていた。 |
1994年頃 | 大学病院の検査結果がでた。陰性だった。 |
うつ状態と鬱病は何が違うのか心配になる。何が不安なのかも不明の状態。 |
1995から |
会社の仕事が多くなってきた。過剰に感じる。 離婚の話が浮上してくる。青天の霹靂である。 |
この病気は何なのだろう? |
1997年 | 職場で発狂してしまう。自分の席の主任用ガラス板を叩き割った。 部長が飛んできて、「明日から有給休暇でいいから休むように」と命令される。 |
何もかもが嫌だー |
1998年頃 | 東京に精神病院に入院する。開放病棟で比較的居心地が良い。ずっと、ここにいたいと思った。病名は「鬱病」であった。 |
薬があまり効果をなさず。 |
2000年頃 | 入院中は調子がよく、鬱もほとんど姿を消した。主治医との相性もよく上記薬でほとんど完治したように見えた。 |
買い物依存症に走りまくる |
2001年頃 | 復職失敗 |
ああ、また休める。とほっとした |
2001年半ば | 躁転から鬱に戻る。眠気がとれない。 | 鬱を悪化させた |
2002年 | 休職を申し出た。病欠ではないので主任という肩書きは消えて人事部付けになる。 |
人間自分のことしか考えていないのさ |
2003年 | 主治医と職場の会議を病院で行う。 |
ここで初めて躁鬱病と判明する。 |
2004年 | 依願退職 | |
2005年 | 入ると同時にセカンドオピニオンの大学病院で双極性感情障害(躁鬱病)と診断される。 |
気がおかしくなりそうだった |
2005年 現在に至る |
こうして第一弾は終結した。 |
寛解といわれる 完全な躁 |
【所感】 プロの精神科医でも誤診をする。患者側も認識を持って病気と対面することが必要である。 |