4.主宰様の闘病記
【プロフィール】HN:主宰 昭和34年クリスマスの夜に生まれる。現在、44才。
家族:妻、母、犬、猫2匹。千葉県在住。大手情報機器メーカー勤務 専門分野:弱電一般
趣味:厨房で格闘すること、ホームシアター、太極拳。好きな歌手:太田裕美、藤村美貴
【病気になる前:性格を形成したルーツ】記憶と記録を基に制作しました。
年月 |
主な出来事 |
生活 |
精神面 |
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1959年12月 |
千葉県船橋市にて生まれる |
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1970年代前半 小学生 人生最初の挫折 |
犬猿の同級生と、担任同意の 元に「決闘」、敗れる。 |
経済的に苦しい環境。 |
憎悪。法と家庭が許す ならば奴を殺したい。 強者への憧れ |
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1970年代前半 中学生 夢は電子技術者 |
ラジオ少年時代。 アマチュア無線に夢中 |
経済的に苦しい環境。 視野の狭い父親 |
経済的裕福さへの憧れ |
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部活の剣道を通して真面目な性格が形成。 いじめられ続けた3年間。 |
生真面目・ばか正直。 強者への憧れ |
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1970年代中頃 高校生 現実と挫折を知る |
工業高校高校電子科入学 荒れた学校・低レベルの 学力・絶望。 陰湿なイジメに耐えた。 放送技術関係への憧れ。 |
遅刻常習犯の毎朝。 毎週末のアルバイト。 女の子との文通。 ショートショート・深 夜放送に熱中。 |
生真面目・ばか正直。 強者への憧れ。 革命への共感。 現実に対する絶望。 |
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卒業時の進路活動失敗。大手電気メーカーへの道 と放送技術勉強への道、共に断たれる。 |
挫折感 無気力感・絶望感 |
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1970年代後半 |
化学関連企業に 就職。 3回の労災に遭遇。 |
趣味中心の週 末。 酒と煙草の味を覚える |
絶望感「なんで俺だけ」 鬱病発症寸前 |
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1980年頃 逆転成功の時代 |
大手電子機器メーカー (現所属会社)に転職 |
寮生活。充実した毎日。 初めての彼女。 |
達成感・爽快感・充実 感。成功した喜び。 |
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1980年代前半 妥協を知る |
放送専門学校(夜学)に 通う。卒業と同時に放送 業界への憧れを捨てる |
睡眠不足の毎日。 趣味からビデオ撮影と 録音が消える。 |
誰にも邪魔されずに勉 強できる喜び。 現実の厳しさを認める |
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1980年代中頃 不安を覚える |
人身事故。 テニス&スキーに没頭 |
一人暮らし。 苦しい経済環境。 |
将来への不安感。 金への憧れ。 |
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1989年 |
家内と巡り合う |
幸福感 |
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1990年 2回目の逆転成功 |
工場から本社地区へ異動 |
一変した生活 一気に回復した収入 仕事中心の毎日 寝に帰るだけの生活 全国出張・深夜残業 休日出勤。 休暇を利用の旅 |
充実感 マイペースを自覚。 リフレッシュ術を掴む |
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1991年 |
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親会社の本社へ逆出向 販促部隊の技術屋として 先端技術の普及に従事 |
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1993年 |
結婚 |
安心感 |
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1995年 視野の広がり |
工場地区へ異動。 直属上司の能力に失望。 「なんで俺だけ」と嘆く |
仕事中心の毎日 寝に帰る生活。 全国出張・深夜残業・ 休日出勤。 休暇利用の家内との旅 生きた心地の無い日々 笑顔の消えた時期 |
自称、自律神経失調。 指輪が廻った。 セルフマネジメントを 知る。責任感。
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1996年 死を見つめた年 |
親会社本社地区へ異動 膵臓ガンの疑い |
死・現実・安堵・命 |
【病気になる前:鬱病発症の潜在要因】
年月 |
主な出来事 |
生活 |
精神面 |
1999年12月 リストラ |
8年間の出向終了。 親会社移籍叶わず。 本籍会社700余名の リストラに生き残る。 社内FAに懸ける決心。 |
フレックス就業生活の 終了。先行き不透明。 |
危機感の毎日 |
2000年1月 不遇から生まれた 向上心 |
異動 フリーダイヤル オペレーター業務に従事。 部門長との確執。 国家資格取得活動開始 |
週3日、新幹線で工場 へ通う。 毎晩2時間以上の勉強。 家内の協力 |
不遇に耐える決心。 再起を目指す。 自分しか見えない。 |
2000年3月 |
移籍情報の誤報 社内FAの窓口閉鎖 |
不遇に耐える決心。 |
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10年ぶりの「花見」、初めての「春の小旅行」 |
犠牲と引換えの安堵感。 |
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2000年4月 |
フリーダイヤル業務が 本社地区に移管。 1冬で6国家資格取得。 |
週3日の新幹線通いか ら開放。 規則正しい生活習慣。 時間的余裕のある生活 |
日々精進修行の時代と 自分に言い聞かせた。
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2000年 10月 |
仕事のストレスを意識 親子4人で温泉旅行 |
規則正しい生活。 資格受験勉強の毎日。 |
スランプから脱出 |
2001年6月 |
夫婦で遠野へ旅行 |
仕事のストレスから解放 |
久々のリフレッシュ |
住宅取得計画の開始 |
両親との同居を決意 |
やる気!! |
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趣味のエレクトーン教室通いを辞めた |
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2001年8月 |
難易度の高い通信系国家資格試験2種に合格 |
安心感・充実感 |
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2001年9月 突然の不幸 |
父の他界 病院のER室で、心肺蘇生術終了を、 自ら医師に告げる |
不安感 やるしかないの覚悟 |
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2001年9月 〜12月 |
母方本家主導の葬儀。 頼れない父方本家。 仏事・菩提寺問題解決。 墓石建立。 |
操り人形に徹した日々。 役所・金融等手続き に翻弄された日々。 支え続けてくれた家内 |
不安感 「自分だけが頼り」 「無事に終わってくれ」 家内への感謝 |
2002年2月 |
部内異動 フリーダイヤル業務の ストレスから開放 新たなミッションを担当 |
日常生活に平穏を取り 戻す。仏事と各種届出 が一段落する。 週末の住宅探しを再開 |
ストレスからの開放 安堵感 やる気と不安感 |
2002年4月 |
社内FA制度解禁 希望職種なく先送り |
期待感 |
【鬱病発症の直接要因】これは、 精神科医に提出したmemoを基に制作しました。
年月 |
主な出来事 |
生活 |
精神面 |
2002年5月 心が崩れ始めた |
仕事の完成評価で失点 |
仕事中心残業の日々 |
悔しさ |
新たなミッション、出来て当たり前、明らかなオ リエンテーション不足の業務引継ぎ、上司の期待。 |
失敗覚悟を決心 |
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細かい上司チェック、度重なる細部の失敗、指摘、 納期遅れ、出来て当たり前の評価 崩れた自信・マイペース、狂い始めたリズム |
怖れ・萎縮・自信喪失 精神的限界 |
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2002年6月 届かないSOS |
住宅取得計画が急展開。 希望物件入手可能に。 |
週末の工務店&銀行通 い。銀行交渉大詰め。 家内の支え |
日々頭の中が飽和状態 思考力低下 精神的に不安定 会社に行きたくない かろうじて家内に支え られた |
仕事失敗指摘連続の毎日 |
残業深夜帰宅の毎日 |
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入社以来初めての部署替え希望。叱咤激励却下。 |
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2002年7月 毎日が遭難 |
覚悟の7月 これを 乗り切れば楽になれると思って臨んだ日々 |
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・未経験の新商品発表 ・未経験の販促物作成 ・展示会開催準備 ・日々仕事失敗指摘連続 ・意思疎通不整合 ・オリエン不足の毎日 ・判断ポイント誤り続出 |
・深夜残業 ・深夜帰宅 ・休日出勤 ・休日の図書館に仕事 を持ち込む日々 ・満足に取れない食事 ・睡眠不足 |
精神的に追い込まれ た 理解不能の日々。 「解かりました」と し か言えない。 頭がおかしい。思考が まとまらない。体だけ が勝手に動く。 記憶が定かではない。 |
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7月末、2回目の異動希望を申告したが、却下された。 回答として、誰も成し遂げたことが無い新業務2つを言い渡された。 |
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2002年8月 鬱病発症 |
会社の休憩時間、元気なヒグラシゼミの音が、空しく寂しく聞えた。 |
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父の新盆供養 |
久しぶりの休日だった |
ほっとした |
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疲労から咽頭炎を発症。ストレスとの診断。 初めての抗不安剤処方。ゆっくり寝ろと言われた。 |
安心した。そういう精 神状態だと自覚した。 |
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電話で上司に容態を 報告。上司は私の容態には触れずに、休暇中の業務トラブルでクレームがあり、上司らで対応したとの旨連絡。 次の新しい業務を 「できるか?」と質問してきた。 私は体調不調なので今は回答を避けますと言った。 |
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2002年 8月10日 鬱病を認めら れる |
精神科で「軽 症鬱病」と診断を受けた。 耳鼻科医での「抗不 安剤処方」と、過去数ヶ月間の現状を省み、これ以上の悪化進行を止めたい一心で、自ら精神科を尋ねた。 |
安心感。ほっとし た。 |
【鬱病治療開始後の経過】 Emailと上司宛ての定期検診受診報告を基に作成しました。
年月 |
主な出来事 |
生活 |
精神面 |
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2002年 8月10日 |
地元の精神科に通院開始 カウンセリングの内容はよく憶えていない。 【薬処方】 アモキサン 10mg1回1錠1日3回 ユーパン 0.5mg1回1錠1日3回 パキシル 20mg1回1錠1日夜1回 |
病気と判った安心感 なすがまま されるがまま
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中旬 |
亡き父の新盆供養 |
週末の銀行と工務店通い |
ぼーとした夏季休暇 |
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8月24日 |
地元の精神科に通院 カウンセリングの内容はよく憶えていない。 【薬処方追加】トフラニールとダイエース トフラニール 25mg1回1錠1日3回 ユーパン0.5mg1回2錠1日3回 アモキサン 10mg1回1錠1日3回 ダイエース 0.5mg1回1錠1日3回 パキシル 20mg1回1錠1日夜 |
なるようにしかならな い。 日々、なにをして どう過ごしていたか あまり覚えていない |
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9月中旬 |
亡き父の一周忌 初めて当家で仕切る仏事 |
高血圧 最大上180下110 |
ひとつひとつこなそう 金木犀の香りが思い出る |
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マイホーム着工 |
週末の工務店・母宅通い |
期待感 |
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上司の裁量でストレスを感じない程度の業務と仕事量 に従事 |
日々、なにをして どう過ごしていたか あまり覚えていない
不安定 |
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友人の薦めで精神科を会社の近くに転院 焦らずに「健康な体に戻す」「生き長らえる」ことが 命題になる |
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9月27日 |
同僚との会話から鬱に。 主治医に駆け込み即効性の 抗不安剤としてレキソタンを 処方。 降圧剤アムロジン5mg処方 |
高血圧 上180下110 上170 下100 上140 下95 |
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9月下旬 |
社内FA書類審査通過 マイホーム上棟式を1週間繰 り延べさせた |
銀行ローン契約成立 家内が頑張ってくれた |
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10月6日 |
マイホーム上棟式 亡き親父 の遺影を飾った |
このころから不眠症気味 |
本当に家がもてるんだ という感激ひとしお |
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10月上旬 |
元同僚からのメール曰く、“水戸黄門の歌詞の、人生楽ありゃ 苦もあるさ〜の「苦」の時期。状況は必ず変わります 「時間薬」 “という言葉 |
励まされた 共感に感謝 |
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10月16日 |
マイホーム新築現場 屋根がついた |
秋晴れの青い空 |
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10月18日 |
社内FA結果「不採用」 |
住宅ローン開始 |
ショック、悔しい |
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10月24日 |
定期の診断 このままお過ごしください、進めてくだ さいとの指示。 薬の服用は、最低でもあと1ヶ月程度は、朝昼5錠、 夜6錠を飲み続けるように。 カウンセリングの内容はよく憶えていない。 【薬処方追加】 トフラニール(抗鬱剤) 25mg1回1錠1 日3回 ワイパックス(抗不安剤) 0.5mg1回2錠1 日3回 アモキサン (抗鬱剤) 10mg1回1錠1 日3回 チスタニン (副作用抑制剤)100mg1回1錠1 日3回 パキシル (抗鬱剤) 20mg1回1錠1 日夜 リスミー (睡眠剤) 1mg1回1錠1 日就寝前 |
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10月下旬 |
突如、昔の彼女の消息に興味が湧き起こる。探偵社に 接触。 この後、約半年間、過去の思い出に恋焦がれることに なる。 |
精神的不安定 |
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11月 10日 |
異動希望先の部長職との直接面談が叶う |
とても嬉しかった |
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逆境の中での自己研鑽を友人から評価される |
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11月中旬 |
カタログ制作の技術的サポートを担当 |
面白い仕事だと考える |
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営業をやってみないかともちかけられる |
とても嬉しかった |
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11月下旬 |
主治医が良い医師との評価有 |
眠れない夜だけ、睡眠薬服用 |
釣りバカ日誌の浜ちゃん の如くありたい |
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定期診断 このころ処方薬で睡眠剤リスミーを外して もらう。 カウンセリングで“職場歓送迎会の出席と幹事の要請 を断った” と話したら主治医は、「それでよい」「そのまま続け る様に」 |
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新居の年末完成見込み、年末引越し決定 |
気楽 |
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11月26日 |
定期診断 処方薬の変化無し 症状は安定の旨伝える |
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12月上旬 |
席替え。鬱になる相手と席が離れた |
安心感・開放感 |
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12月18日 |
社内FAで第一希望先に応募 |
住宅登記完了 家内のがんばり・奔走 |
背水の陣で臨む |
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12月25日 誕生日 |
定期の診断 投薬種類薬量変化無し 鬱病症状安定 主治医指示は「このまま続けるように」 |
サンタクロースは来な かった |
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年末年始 〜 2003年 |
マイホーム完成後最終引き渡しで不具合場所発見。直 せと指示。 年末年始休暇は、引っ越しの準備・引っ越し・復旧作 業に明け暮 れた。食事は毎回コンビニ弁当。 28日引っ越し前夜は荷造りで久しぶりの徹夜。朝が 早かった。 梱包が終らないまま、29日引っ越し当日を迎える。 家財荷物の 搬出開始。引っ越し終って思うに、家内への感謝。 年始早々、不具合ヶ所多数発見。工務店職人総出で修 理。 |
気分が高揚 うれしかった 楽しかった
鬱病患者の自分がよく家 を持てたものだと自分で 自分を誉めた |
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1月上旬 |
社内FA 書類選考で落選 縁がひとつ完全に切れた |
残念 悔しい |
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1月14日 |
帯状疱疹を発病 全治1週間 休業1週間 年休不足し病欠 |
一難去って又一難 |
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2月14日 |
昔の彼女からもらったコーヒーカップを割って思い出 との決別を 図るが逆効果に |
後悔の念 |
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2月24日 〜 下旬 |
定期診断 鬱病発症治療開始 から半年経過。投薬種類薬量変 化無し。主治医指示は、 「このまま続けるように」。 報告事項 「薬の服用を忘れる事がある」 「性欲が戻ってきつつある」 「資格受験活動再開を計画中」 |
母の同居に伴う引っ越しの準備に追われる。 結局、準備仕切れないまま、 2月下旬の引っ越し日を迎え る |
薬の変化無しに気をも み始める。治る日が来る と信じる。日々精進。 沈丁花の香り 安心感:同居完了で、 責任感からの解放。 新たな問題(嫁姑)に 悩む |
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3月26日 |
定期診断 薬の用法用量共に変化無し。仕事も生活 も、このま ま進めてくださいとの旨。 |
春先はなんとなく不安 定な気分 |
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3月27日 |
体が重く感じた |
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3月28日 |
上腹部に息苦しい痛み。そのまま出社。徐々に重くな る症状 体温37度 |
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3月29日 |
腹痛で何度も目覚める。体温37度6分。主治医で検 査を受ける が原因特定出来ず。自宅療養 |
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3月31日 |
平熱を確認 |
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4月3日 |
膵臓癌定期検診。正常の範囲と診断。相変わらず膵臓 の尾部が腫 れて見える。脂肪肝の顕著な進行を確認。抗鬱剤の副 作用と診断 |
ほっとする。 また1年命拾いした |
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4月上旬 |
上司から仕事量を増やせない かと打診あり |
嫁姑問題が現れ始める。 |
仕事に対して物足りな さを感じる |
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4月10日
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定期診断 膵臓癌定期検診結果報告。鬱病治療優先の 方針。主治 医回答は、そうしてください、回復している証拠との 旨。 今、仕事量を増やすのはリスクを背負い込むこと=心 の負荷が増えるこ とになるから避けるべきとの旨。会社上司もこれを承 諾。 |
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4月28日 〜 GW |
定期の診断 薬の処方用量変 化無し。普段通り過ごしてい ると報告。主治医指示は、 「このまま続けてください」 |
GW突入 友人が新築祝いにや ってくる。 家の片付け 嫁姑問題で悩み始める |
安定
危機感、勘弁してよ |
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5月9日 |
定期診断 薬の処方用法用量共に変化無し。 「連休中は安泰に過ごした」 「鬱病治療開始から10ヶ月目を意識」と伝えた。 |
焦り。早く全快したい 鬱病の治るきっかけ? 治癒時の自覚症状は? |
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5月16日 |
不定期の診断 サイト掲示板に『なかなか完治しない 焦り』を書 き込み、他の投稿を見て気分が落ち込んだ。 吐いたので、睡眠薬は服用せず。 翌日は朝から気分が乗らず、会社を休んだ。GW明け から、まと もに出社してない。休むことに抵抗が無い。 意識してレールから離れた所でタバコを吸う自分。 【主治医回答】 社内転職できないから、いじけてる。 現状を受け入れ切れない・今の自分を認めたくないか ら、焦りに 繋がっている。鬱病の治癒進捗は人に格差あり、治る 日数は言い 切れない。性格を変えない限り完治は無理。 焦っても、病気は早くは治らない。 【上位上司回答】 最近の天気では誰でも気が晴れない。天気のせいと考 えれば少しは気が楽になる。 休職は、如何しても会社に行く気力が無くなったのな ら仕方が無いが、出社に対して拒否感が無いなら、気晴らしの為の外出と思って会社に来るように。 |
焦り 気分の落ち込み。 不安 心配 休業しようか? 休暇数や収入に心配 お茶の渋みが口に残る 先行き不透明
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5月23日 |
定期診断 主治医コメント『・・・そう思える、考えられる様に なったこと自体、だいぶ治っ てきている証拠です。”しばしカルテを見る沈黙の 後”はい、このまま続けてください』 |
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展示会の撤収作業に参加。 自分のルーツ・元気だった頃の自分に会えた。 |
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水を得た魚の如く 生き生きとした自分。 晴れやかな気分。 |
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スーパードライの様なキレの 良い目覚め。いつもより早い電車。胸張って歩く自 分。良い寝つき。 |
朝から爽やかな気分。 昨日までの自分と違う。 背中に「凛」としたもの を感じた。 |
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国家試験受験 |
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やる気が出てきた |
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鬱病が治ってく過程を理解できるようになった。 一昨日昨日までは良くなったと思っていても、今日は 少し低調 気味という様な進捗・リズム。 経験を、少しづつ体に思い出させれば、回復に近づく のではな かろうか、と考えた。 |
3歩進んで2歩下がる |
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5月27日 |
早朝覚醒 首から上が冷たい。特に頬が冷たい。胃に残留感。 |
驚き 朝弱い自分が・・ |
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6月6日 |
定期通院 処方薬の変化無し。このまま続けてくださいとの診断。 |
嫁姑対策、自画自賛。 真面目に働いて餌代と 医療費を稼ごう。 妻不在、広く寂しい家。 |
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家内が高熱で入院、問診でSA RSを疑われる。主治医のいる 病院。1週間で退院。 |
嫁姑対策として犬1匹と猫2匹 を飼う。会社を休んで家内の入 院対応。家内不在の生活。 |
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体調良好 週末が楽しみ 休日の家の縁側で、のんびり タバコを吸う |
気分良好 今はとても幸せだと思う 家族の大切さを悟る |
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もう少し今のまま『人生の中休み』を過ごしてもいい と、思うようになった。 |
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6月24日 |
定期通院 処方薬の変化無し。このまま続けてくださいとの診断。 |
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1年ぶりの咽頭炎で2日休んだ。 主治医の著書を読む。面白い。 |
我が家に子犬1匹と子猫2匹 がやってきた。 |
気持ちが豊かになった。 笑顔、賑やかになった。 |
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1年前の今頃、仕事で自信喪失が始まった。今の回復 を自覚。 |
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6月25日 |
「鬱病の要因になった展示会の今年版」への業務応援を拒否 |
辛さを思い出すのが嫌。 少し気分が晴れない |
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6月22日 |
定期通院 処方薬の変化無し。このまま続けてくださいとの診断。 |
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23年前の転職成功当時の気分記憶を思い出した。 |
成功・犠牲・爽快感 |
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1年前の今頃の鬱病発症を思い出す回数が増えた。 |
現在の回復ぶりを自覚 |
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現在の業務の意義を認めるようになった。 |
主治医の回復宣言を待つ |
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7月6日 |
エレクトーン仲間が新築祝いで来訪 |
嬉しかった |
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7月下旬 |
国家試験 電気通信主任技術士を受験し、玉砕 |
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8月5日 |
定期通院 処方薬の変化無し。このまま続けてくださいとの診断。 |
潜在的残留の自分の心 (仕事・ルーツ・女性問 題等)に、整理がつく。 |
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1年前の今週、軽症鬱病の診断 |
朝フレックスに甘んじている 自分改善を、考える。 |
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今の業務の意義を認める |
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仕事面で活躍したい |
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8月20日 |
定期通院 処方薬の用法用量変化無し。 【主治医回答】 ・鬱そのものは、もうかなり改善されている。 ・転職したいという気持ち、アイデンテティが残って いる限り、「鬱気」のある小生の場合は、難しい。 ・転職に挑戦する気持ちを持つのは大事。 ・今の時代、自分の足固めをするのは大事。守りの思 考も大事。 決して恥じることでは無い。 |
気分がへこんだ
自分を改善したい 根強い社内転職執着心 自分を変えたい、 もう一花咲かせたい、 活躍したい |
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発病後1年経過。 |
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夏季休暇 ホームシアター完成 映画三昧の毎晩 ペットに夢中 |
久しぶりの「のんびり」 |
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8月下旬 |
国家試験 電気主任技術士(電験三種)受験し、玉砕 |
強電の世界は難しい |
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9月3日 |
定期通院 処方薬の用法用量変化無し。 |
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職場の懇親会に出席。楽しく酒 が飲めた。小生の出席を、部長 と課長は喜んでくれた。 社内FAと小生の業務希望で部 長の理解を得た。年代に応じた 過ごし方、仕事への取り組み方 があると、諭された。 |
軽症鬱病になって初めて、 「自殺」をイメージする日が あった。会社を休んで一日中 家で過ごした。年休が減って も、命には代えられないと、割り切って休んだ。
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気分的に心が軽くなった |
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9月19日 |
定期通院 初めての減薬 トフラニール25mg昼服用1種類1錠 |
嬉しかった |
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仕事のみに充実感を求めてバリバリやるのは誤りだと 気付いた。 物足りなさは、家庭・家族・友人・趣味などで補間し あって、結 果的に充実感を得られれば良いのだと。 料理で言えばコース料理。オードブルからデザートま で味わっ て、初めて完成された味わいになる。チャーハンや ラーメンの 一品料理様に、それ一つで完成された味を求めるのと は違う。 【主治医回答】 そう考えられる様になるのを、待っていた。仕事をバ リバリや るのはそれはそれで大事。だけど、仕事一筋の人は、 なんらか の拍子に仕事がコケちゃうと、ものすごい心の穴を空 けちゃう、 心はその負担に耐えられなくなる。仕事に物足りなさ を感じて 、それはそれでいいんです。他の要素(家庭・家族・ 趣味など) で、補完しあって満足感・充実感を得られれば良い。 |
充実感
「頭で理解する」 と 「心で理解する」 との 違いを認識 |
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9月21日 |
亡き父の命日 |
安心感 |
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10月3日 |
定期通院 2回目の減薬 昼服用全種類3種類4錠 アモキサン10mg1錠・ロラゼパム0.5mg 1錠・チスタニン100mg2錠 なにか不都合があったら、薬の量を元に戻す。 【主治医の回答】 1錠減薬で影響が無ければ、それでいいです。年休が 無くなっ ても「命までは取られない」、それでいいです。社内 FAで「選 択肢はいくつかある」、それでいいです。 |
嬉しかった 喜びの美酒に酔う 予想外の展開 |
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日々、安穏。昼の1錠減薬で様 子を見たが、快調 |
ペットの病気対応と初めての 発情期対応 |
良くも悪しくも楽しく過 ごしている |
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朝の出勤時間、なかなか、定 刻出社に及ばず。 焦りを感じている。 フレックス時限に間に合わず、 年休を4日充当し残日数激減。 |
年休が無くなっても 「命までは取られない」 |
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亡き父の三回忌を済ませた。 仏事は一段落。 |
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親子共々気持ちの整理も 出来て、ほっとした |
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社内FA解禁。以前は職種を固着して考えていた。 今は「選択肢はいくつかある」と考える。 |
柔軟な考え |
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10月7日 |
減薬開始以来ここ数日、反作用 らしきものを自覚。業務に支障 無し。業務中、ごく瞬間的に不 安感を感じたが、中和法で解消。
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しばらく観察。朝夕の薬服用 直前には、体が薬を欲してい るのを自覚。口の渇き、眠気、 味覚障害らしきものを減薬以 前より強く感じる。水分補給。 |
中和法 不安感などは無し |
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10月21日 |
定期通院 処方薬の変化無し。「良い傾向です。このまま続けて 下さい」との指示あり |
時間のプレッシャーに はタバコ一服で気分転換
今日ここまで出来た! 明日またやろう! |
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お昼の服用全て減薬は、2週目になってようやく体が 慣れた。1週間の朝のリズムで、相変わらず月曜日は苦手。火曜日以降 は定刻出社に若干遅れるか、定刻出社できるように なった。 仕事で、失敗での瞬間的な不安があったが、中和法で 解消。今回の社内FAも見送った。 |
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10月 30日 |
定期通院 処方薬の変化無し。「良い傾向です。このまま続けて 下さい。焦らない焦らない」との指示あり |
自分を変えたい・変わ りたい・生き変わりた い、出来るならやり直 したい意識。これは、 「死」の対極にあるネ ガティブなものではな く、ポジティブな姿勢。 戻ってきた自信。 |
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展示会説明員として1年ぶり に現場復帰。当初、一抹の不 安があったが、やったら面白 かった。 |
昼の全減薬開始後4週目、体調 は好調。日常生活に、規則性あ るリズムが出来た。以前には無 かった良い傾向。 |
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11月 上旬 |
体調も戻ってきたし仕事のウ ェイトについて目標値を上げ て欲しいと上司からの打診。 |
家を施工した工務店の倒産を知 った。アフターフォローに影響 無し |
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11月5日
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不定期の通院 秋の連休中に心が不安定になった。
【小生の質問】 鬱病は治る病気だから焦るな、時間が必要、とは言わ れるものの、出口の見えない治療は不安。 2回目の減薬にようやく辿り着いたものの、その後の 進展が無い。どうしたら、薬が減るのか? どうしたら、病気が治るのか? 病気が治るには、あとどのくらいの時間がかかるのか? 【主治医の回答】 医者が加療を通して、患者自分自身で考え方の変化を 見い出して行くものです。だから、いつ頃治るかは、判らない。 【小生の質問】 小生は、自分の症例だけしか知らない。先生は、沢山 の症例と患者、沢山の精神科医を知っている。仮に、小生が別の診察と加療を受けたとして、小生の病気が早く治る可能性はあるのか? 【主治医の回答】 他の医師のレベルは、自分らと大差ないと思っている し、考えたことも無い。自分は自分。他の医師にかかっても、同じだと思う。 【小生の質問】 「会社が仕事を与えなかったが故に鬱病を発症したと して会社員2名に労災認定が降りた」という旨の画期的なニュースを知り、自分の考えに疑問を持ち、それが被害者意識に変わった。 今までの病気快方への経過中に、「罪を憎んで人を憎 まず」との考えがあった。 今は、小生を病気にした人物に対して被害者意識を持 ち始めた。「何故、小生だけが苦しまなければならないのか!」「加害者はこの苦しみを知らずに、同じ職場で働いている」。「目には目を、歯には歯を」と考 え始めた。そもそも、自分自身で今のチームを選んだこと自体が、失敗だった。後悔している。 【主治医の回答】 何故、被害者意識を持つのか判らない。このままで は、病気を治してくのは難しい。被害者・加害者意識を捨てて、柔和な考え方に気付くまでは、病気は治らない。 あなたの場合は、閑職に追いやられた訳でもないし、 恵まれた環境にいる。手っ取り早く病気を治すなら会社を辞めること。 【小生の意見】 今、会社を辞めるのは自ら負けを認めること。自ら活 路を開いて勝利しない限りは、辞めない。 【主治医の回答】 自ら柔和性に気付くこと。お薬を飲んで、時間をかけ て、自分自身で答えに気付くことです。まだまだ、完治まで時間がかかります。 |
心が不安定 まとまりのない話し方 をする自分
出口の見えない不安
早く病気を治したい
主治医への不信感
被害者意識が生まれた
この苦しみを味合わせ てやりたい
「目には目を、 歯には歯を」
負け犬にだけは ならないぞ!! |
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11月6日 〜 11日 |
【反省】 小生が鬱病を発症したのは、交通事故に似ていて、原 因こそあれど所詮は結果論であり、「過去」であろう。起きた過去は、後悔しても何も始まらないし、解決もしない。 原因を認める。再発しないよう心がければ良い。 鬱病は交通事故の様に、複数の要因が重なって発病す る。 鬱病は治る病気だから、自らを変えて、心がける余裕 を持つべき。 鬱病を治す時間を要するのだから、ゆったりとした時 間の中で、自分を再生出来れば良いのかな? |
誰も小生を故意に病気 にしようとした訳ではな いだろう。鬱病患者は こうやって自らの心と 対話して、治っていくの かな。今頃になって現れ た、「日内変動」に似た、 あの不安定な気持ちは なんだろう? |
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11月13日 |
定期通院 薬の用法用量共に変化なし 精神的療法 |
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中和法を試みて午前中一杯様子を見たが効果が薄かっ た。やむを 得ず、抗不安剤レキソタンを頓服服用。鬱病治療開始 後、3回目 の服用。 |
朝から気分が晴れない |
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先週の小生の精神状態は不安定だった。心が不安定に なった要因 とプロセスは判っている。現状の職場環境下における 鬱病加療に ついて、限界を感じている。 |
同じテツは踏まない。 心の奥底にあった思いを 吐き出したことで、胸の 痞えが取れた。
過去の自分を乗り越えて いくのだ。
会社を辞めることだけは 避けたい。 |
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【主治医の回答】 職場の人間関係における、自分側の歯車を調整して対 処するような、柔軟性が必要です。上司に認められるように努力することが必要です。実力さえ身につけば良いのです。 【小職の意見】 自分の限界を感じている。柔軟に反応するためは、心 のキャパシティを知っておくことが必要。レスポンスを返せる限界というものがある。現状では、レスポンスを返せない。 |
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【上司GM職回答】 限界は誰でもある訳で、貴職だけの問題では無いです よ!GM職も上司から叱咤される時も侭ある訳で・・・ M職もGM職から同じように叱責する場合もありま す。 仕事の指示が細かい件は、考え方を変えたら良いので は? ”何で!”と思うことは良くあります。GM職の今で もありますよ。これだけ細かく見なければ、お客様にご迷惑になるとか考えて見ると、細かい指示も受け入れられたものです。まあ、これも人其々違うの で・・・ 兎に角、給料を貰って仕事をするので、細かい指示に ついても変な詮索をしないで、指示=給料とでも割切る事も必要では?? 折角、治りかけているのですから、変に焦らない事が 重要です。 |
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11月27日 |
会社のメンタルヘルスカウンセリングを受診。 担当医(精神科)はセカンドオピニオンの立場。 |
安心感 理解できた |
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過去1年間のクリニック受診報告を一読頂いた上での カウンセリング。 ・報告を見る限り、主治医のカウンセリングは、開業 医ではとても親切丁 寧な部類である。
・鬱病の程度に軽症重症という区別はつけ難い。敢え て分類するならば、重度の鬱病と、心理的(内的)葛藤により発症する鬱病である。
・鬱病の加療期間に長い短いをつけるのは難しい。 鬱病の治療とは、患者本人の心理的葛藤を経て五里 霧中の中を、暗中模索しながら治癒 していくものである。患者にとっての、即効的な治療 マニュアルは無い。機械の操作マ ニュアルや、テスト対策本の類のような存在は無い。
・精神科医の治療方法とは、患者の快復進捗に合わせ て、有効な薬物療法を処置しつつ経 過観察していくものである。5年以上も加療を継続す る患者もいる。治癒の進捗は、人 それぞれである。基本的に薬物治療は、自力快復のお 手伝いをしていると考えたほうが 良い。 抗鬱剤には、強いものもある。だからといって、強 い薬を内服しすぎると、かえって脳 に悪影響を与える場合もある。薬に依存する加療は、 好ましくない。
・患者によっては、薬物療法のみだけでなく、生活環 境や取り巻く人間関係を変える事に よって、快方に向かうケースもある。これは、基本的 には自力による部分である。 |
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11月28日 |
定期通院 薬の用法用量共に変化は無し このまま続けて下さいとの旨 |
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前回カウンセリング時に諭され た「職場の人間関係で、自分側 の歯車を調整して対処する、柔 軟性が必要」について考えた。 |
業務が繁忙になりかけており、 鬱病発症当時を危惧し、対策を 考えた。 |
自己管理を考えるように なった 柔軟な対応姿勢が必要な のだと、自己に言い聞か せてる |
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昔を思い出し、スケジュール表を作り、全体的な流れ と個々とを見ようと試みている。 仕事に突発性はつき物だから、優先順位は変動するも のと割り切ってる。 |
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前々回のカウンセリングで諭さ れた「手っ取り早く病気を治す 方法は会社を辞めることです」 について考えた。 |
個人だったものが、企業に入っ ていつの間にか「企業」という 名のラベルに固着している。 |
心までラベルやブランド に固着しないように心が ければ良いのだ。 心の負担を少なくするに は、ラベルを剥がしてし まえば、手っ取り早い。 心までラベルに縛られた ら、会社を辞めた時に心 のやり場が無くなってし まう。 |
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現実、生活がかかっているか ら、企業に属して働いて福利 厚生や収入の恩得に頼らざる を得ない。 |
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12月 10日 |
定期通院 薬の用法用量共に変化は無し このまま続けましょうとの旨 |
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公私共々適度に多忙 |
仕事で最近立て込んでおり、 終電&タクシー等があった。 |
充実した毎日 自己管理し自分のペース を守り、乗り切っている。 |
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鬱病仲間の友人が自殺未遂。 一命を取り留めた。 |
太極拳を習い始めた。 昼休みに練習している。 母の白内障日帰り手術で、会 社を休んで対応した |
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12月 25日 |
定期通院 薬の用法用量共に変化は無し。精神医学の専門書を読 むなら「自己愛性人格障害」を読むように。 どう感じたかを報告して欲しい。 |
鬱病と、鬱病患者である 自分自身を、客観的に観 察しよう考えようとして いる自分に気がついてる |
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読む鬱病の本の対象が変化。 体験記などを捉えた書籍から、 精神医学専門書を読んでる |
家を新築、親との同居後初め てのクリスマス&誕生日 |
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年末年始 |
慌しかった年末、のんびりした正月 我が家で食べるお雑煮 部屋の片付けに熱中 アルバムの整理に夢中 半徹夜 |
親父が生きていたらど んなに喜んだだろう |
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2004年 1月9日 |
定期通院 処方薬変化無し 新年の挨拶 自己愛性人格障害について、精神医学専門書を購入し て調べた。 鬱病発症以前の小生に該当事項がいくつもあった。現 在も、数箇 の該当事項を認めた。 |
鬱病治療中を認めるが、 あえて鬱病を意識せずに 過ごそう |
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『小生はいつ鬱病を発症してもおかしくはなかった』 『今の時期に発症の引き金を引いてしまった』 |
改めて認めた
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【主治医回答】 あなたの場合、職場の人間関係に疲れて病気になった ものの、 その後は上司と大衝突してしまうような大きなトラブ ルもなく、会社や仲間からも病気に対する理解を得られている。 今のご時世、病気の尾ひれをとりあげられて、解雇さ れたり、理解を得られないで苦しんでいる人は沢山居る。 あなたの場合は、まだ恵まれている環境にいると思 う。 お薬も減薬できている。 今は、お薬によって鬱を抑制しながら、日常生活を過 ごしている。快方に向かっている。 今の(会社・職場・仕事)で、もう少し頑張ってみる のも、決して悪いことじゃあないと、思いますよ。 |
主治医を信頼していこう |
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1月23日 |
定期通院 3回目の減薬 投薬自体は、鬱病加療が本格的に始 まった頃に比べて、錠数、用量共に半分以下になっ た。 |
うれしい半分 不安半分 |
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抗鬱剤アモキサン10mg1錠 朝と晩の服用から削 除 副作用抑制剤チスタニン500mg1錠 朝と晩の服 用から削除 |
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虫歯が悪化、軽い咽頭炎も加わ って欠勤。
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公私共々、充実した日々。 太極拳、フォームが様になる 犬猫に囲まれ、夜遅くまで賑 やかな毎日 |
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25日、資格試験で電気通信主任技術者を受験予定 |
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社内FA、募集部門に質問を出したが、応募願書は出 さず。 元来、なぜ転職希望だったのか振り返ってみた。 縁あって親会社に出向。仕事や物件に対する視点やビ ジョンが、 親会社と子会社で異なり、大きさも変わることを知っ た。 折角のご縁、ビジョンの大きな仕事がしたかった。 【減薬について】 この質疑応答が終わってから、主治医はしばしカルテ を見て話さ れました。 減薬しましょう。 投薬の経緯から判断して、小生には「アモキサン」と 「トフラニール」のどちらが効果を出していると思うかね? ではアモキサンを減らしましょう。 |
小職元の考え方と今回の 募集に照合して、決心が つかなかった |
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【死について、いま、思うこと】
小生は、自分自身が数年前に膵臓癌を疑われ、命とは?・生きることとは?・定めとは?
などなど約1ヶ月間に渡って「生きること」について考え直す時間に恵まれた。
生きた心地の全く無かった1ヶ月間だった。当時の写真を見ると笑顔が消えている。
今でも毎年春先になると、定期検診で精密検査を受ける。
そして毎回、「生き延びられた」と安堵している。
もしもあの時、本当に「クロ」つまり膵臓癌の診断だとしたら、この闘病記自体存在しない し、小生は土の中にいることになる。
これに前後して、身内の心筋梗塞による他界、親父の死(心肺蘇生術の終了を判断したのは 小生自身)があった。
自分史を遡れば、感電事故や交通事故で、小生自身は何度か死にぞこなっている。
自分史の中で、生きたくても死に行かざるを得なかった人の人生に立ち会ううち、
少なくとも小生は今までの自分史の中で、「自殺」の道だけは選ばなかった。
全ての鬱病患者が自殺を選ぶものではないと、小生は思う。現に自分がそうだし。
人間という集合体の中に、鬱病患者という部分集合があって、
その中の一部集合体にある方々が精神的に追い込まれて、自殺を選ぶのだろうと考える。
実際、自殺未遂をした方にお会いした時、
「なんでこんな可愛い人が自殺未遂なんかしたんだろう」と、自分の目を疑った。
今そこにある危機は、実在した。現実だった。
同時に「生きていてくれて良かった」と、安堵した。
そして、
「この方にも頼って生きてく人生を背負った人がいる」ことを、
この方は判ってくれた。
小生にも将来「死」というものは、100%の確率でいつかは必ず訪れる。
それまで、小生は生きていたい。
小生が自殺を選ばずに今日まで生きて来れた理由があるとすれば、
親・兄弟・妻・身内・友人達に、「頼り頼られ」という相互の信頼関係にあった。
数年前、親父の葬儀を施主代理で臨み、親父の人生の後始末を全てこなした。
そして数年経って、小生は鬱病になった。
幸いにして、自分の死んじまった後のことを、真面目に考えるだけの余力が残存した。
小生は「自殺」は選べなかった。
【あとがき:克服会卒業によせて】
この掲示板にお世話になって2年ほどになりました。
そろそろ潮時だなと常々感じておりました。
鬱の波に呑まれて辛い苦しみにもがいている皆様のスレを見るたびに、3年前の発症当時を思い出します(当時はこの掲示板があることさえ知りえませんでした)。
小生は、鬱病の症状が快方に向かうにつれ、鏡に映した自分が見えるようになってきました。
自分で自分を見つめなおす・認めるために自分の闘病記をまとめて、このサイトにアップもしていただきました。いやおうなしに、自分を見つめることが出来ました。
インフォードコンセントを求めて主治医にかみつき、明快な回答を得られないため「ならば、自分で精神医学の本を読みたい」と訴えたとき、主治医は「自己愛性人格障害について調べなさい」と言いました。
精神医学書を何冊も購入し、心の病に沢山の種類がることに驚愕しました。
ネットでも、自己愛性人格障害をもう一度調べなおしました。
思い出したのです、現在の主治医の下で鬱病加療開始当時に言われた主治医の言葉『職場の人間関係よりもなによりも、性格が災いして鬱病になった。性格を変えない限り、この病を克服するのは難しい』があったことを。
つまりは、鬱病になるべくしてなった、その要因は自己愛性人格障害に起因していたと。
今、自己愛性人格障害の加療をしていて、鬱病加療の時代のほうが、心の逃げ道が沢山あったと考えます。
3年前、「鬱病」と診断されたときは、”あぁ、そうだったんだ、病気だったんだ”と安心したのを覚えてます。
1年前(もしくは1年半前)に、「自己愛性人格障害」の名前を主治医から聞いたとき、言いようの無いショックを感じました。こりゃ、厄介だと自問自答しました。「性格が災いして鬱病になった」という、主治医の言葉を思い出し、これからが本当の闘いになると思いました。現在も、そも思いは変わってません。
小生、ここを卒業するに当たり、思い切って皆さんに意見します。
1.風邪の予防や対処法を学んだり覚えたりするのと同様に、もっと自分のかかっている鬱病という病気について、自ら学んだり対処法を調べて実践するなり、自分でできるリハビリをするべきだろうと、考えるのです。
2.心的感情や現実的問題は、本来はすべて別物なのだから、ごっちゃにして思い悩むのは止めて、出来るものから一つずつ片付けるべきだろうと。
3.「1」も「2」も出来ないのならば、人生の中で神様がくれた長いお休みLong Vacationと思ってひたすら心を休めるべきだろうと。
4.闘うには味方が必要。現実に存在する一人でも多くの味方を得るべきと
みなさん、もっと自分の病気を知りましょうよ。
そして、自分自身を知りましょうよ。
お世話になりました。
主宰
【追記】
1.小生が自殺に走らなかったのは、自己愛性人格障害なる強いプライドが故だと考えてます。
2.自己愛性人格障害を背負った者で、鬱病を介さずに精神科に通院するケースは稀だろうと考えます。加療ができる小生は運の良い方だと思います。
3.自己愛性人格障害の加療で寛解宣言を受けるまでの闘病記にすればもっと実践的だと思いますが、完結なきまま終了することをご容赦ください。
4.このサイトを通じてご縁が出来き、小生を支えて頂いた皆さんに御礼申し上げます。ありがとうございました。 73 QRT 主宰