take様の闘病記
★発病前夜:2001夏〜 | ||
出来事 | 当時の状態 | 今、思う事 |
今までの定常業務に加えて、新規開発業務を上乗せされる。 それは、何が何でも成功させなければ、翌年、自部署の仕事が 全く無くなる、というとてつもないリスク&プレッシャーのあるもの だった。 例年、夏場は仕事量も少ないので、当初はあまり仕事量も 気にならなかったが、冬場になるにつれ仕事量は増大し、 気が付くと、毎週休出が当たり前となり、残業・休出時間は 130時間/月を越すようになっていた。 |
上手く行かなかった場合、 自分だけではなく、部署 全部の人に迷惑をかける 事になるため、なんとしても やり遂げねば、という気持ち でいっぱいでした。 |
夏場はともかく、冬場の仕事量 には明らかに無理がありました。 定常業務の軽減を上司に要望 する等、何か行動を起こせば 良かったと思います。 全責任を独りで背負っていた 様に思います。 |
★発症→悪化、初めての通院:2001冬 | ||
当然ながら、体調は悪化の一途をたどり、睡眠障害も出始める。 食欲も減退し、集中力も続かなくなって来た。 ちょっとした事で疲れやすくなり、一旦疲れると、なかなか回復 しなくなってしまった。 この頃から、階段や歩道橋等、高い所に行くと飛び降りたくなったり 駅のホームや踏切で列車に飛び込みたくなる自殺念慮が顕在化。 自分で自分をコントロール出来なくなり、1ヶ月ほど迷った末、 12/25に初めて心療内科に通院する。 インターネットのHP、「UTU-NET」が私の背中を押してくれた。 |
仕事で精一杯で、極端に 視野が狭くなっていました。 思うように仕事が進まず 過重なストレスを抱えて、 それでも独りでがんばって いました。 限界を感じつつも、部署全体 への影響を考え、仕事を放り 出す事は出来ませんでした。 |
仕事の能率低下→残業して補う →さらなる体調の悪化→さらに 能率が低下、という悪循環に 完全に陥っていました。 ここで上司が業務を管理して いれば、止めるべき状況だった のだと、今は思います。 また、思考が完全に「〜すべき」 になっていて、余計に自分を 追い込んでいました。 |
★通院しながらの出勤:〜2003/6/15 | ||
何とか、新規開発は目標を達成し、翌年の仕事の心配は無くなった。 最初の通院から約1年半、通院しながら仕事を続けていた。 夏場は仕事量が減る時期もあったのだが、症状は治まらず、大量の 抗鬱剤・安定剤・睡眠薬類に支えられながら、何とか出勤していた。 しかし、睡眠障害が次第に悪化、徐々に朝起きられないようになり、 ついにほとんど出社拒否状態に陥り6/16から1ヶ月の休職を余儀 なくされる。 |
薬だけで治ると思い今までと 同じようなペースで仕事を していました。 ただ、次第に朝起きられない ようになっていき、怠け心の せいだと自分を責めて何とか 出勤を続けていました。 |
心身症的な症状にもっと早く 気付くべきでした。 また産業医に相談して通院先も 検討した方が良かったでしょう。 会社には知られたくない、という 心理が働き、産業医を活用しな かった事が悔やまれます。 |
★第一回休職期:2003/6/16〜7/15 | ||
取り合えず、1ヶ月間、休職する事になった。 1ヶ月、という期間の診断書は「取り合えず」、という事らしい。 しかし会社は休んだものの、症状は変わらず、診断書の休職期間が 終わったから、という理由だけで一旦復職した。 |
ほとんど毎日寝てばかりの 生活でした。 考える事が出来ず、何も 考えていませんでした。 |
1ヶ月と言う期間では、明らかに 短すぎました。 精神的に殆ど休めていなかった 為、長期で休む覚悟を決めた 方が良かったのでしょう。 |
★中間復職:2003/7/16〜7/22 | ||
取り合えず、出勤はしてみたものの、状況は何も変わらず、 無理をした結果、7/22に会社で気分が悪くなり、倒れる。 休憩所で横になっているところを発見され、半ば強制的に帰宅 させられた。翌日より本格的な長期休職に突入した。 |
気合だけで何とかしようと していました。 一番必死に「もがいて」いた 時期かもしれません。 |
気合で何とかなるのなら、誰も こんな病気にはなりませんね。 休養の必要性を早く認めて、 休んだ方が良かったでしょう。 |
★第二回休職期:2003/7/23〜2004/7/22 | ||
産業医の紹介で、7/25から新しい病院に転院することとなった。 新しい主治医の強い勧めもあり、思い切って長期での休職に突入。 診断書は、1ヶ月+2ヶ月+3ヶ月*3回=12ヶ月。 最初は、ここまで長期の休職になろうとは思わなかった。 最低限の買い物に出る以外は、ほぼ部屋に引きこもり状態。 時々、実家に半月ほど帰省して休養するが、症状は改善せず、 そのままの状態で2004年を迎える。 1月半ばから何とかある程度の時間眠れるようになり、それを 境に徐々に回復傾向が見られるようになった。 殆ど体を動かさなかった為、休職前に比べ、体重は18kgも増加。 何とかするべく、3月から1日1時間位ずつ自転車に乗り始めて、 5月までには、ほぼ元の体重まで減量に成功。 時を同じくして、この頃から、抗鬱剤の減薬も始まった。 1年、という区切りでもあり、自分でも何とかいけるのではないか、 と思い始めたので、主治医と相談の結果、7/23からの復職を 決意する。 |
休職当初は、やはり仕事が 気になっていました。 また長期休職する事で、 回りに迷惑をかけることに 引け目を感じていました。 実際、自分の代わりに仕事を する事になった人は、冬季は 月に100時間以上の残業を 強いられる結果になり、 非常に負い目に感じました。 眠れるようになったのは実家 での何度目かの休養中の ことでした。 |
逆説的ですが、あの状態で、 忙しい冬場を乗り切ることは 不可能だったでしょうから、 夏場のうちに、休職が決まって 良かったのかもしれません。 また、食事や洗濯といった心配 をする事なく過ごせた実家での 休養は、効果があったようです。 家族に感謝ですね。 最後の3ヶ月の診断書は、主に 睡眠障害で朝起きる自信が 無い為に書いてもらったもので、 抗鬱剤の減薬は進んでいたので 鬱状態そのものは、既にかなり 良くなっていたのだと思います。 |
★復職:2004/7/23〜 | ||
7月中は4時間勤務、8・9月は6時間勤務で様子を見る。 9/17の通院時、既に極少量の服用となっていた抗鬱剤の完全 撤去を主治医から言い渡される。 現在、抗鬱剤は服用していないものの、体調に問題なし。 服薬は夜の睡眠薬系が少量残るのみとなり、10月からは、 定時出勤・定時退社の8時間勤務とする事とし、一応の完全復職を 果たすこととなった。 |
復職当初は、半日の勤務 でも非常に疲れました。 また、定常業務が与えられ ない状況も困りました。 周りが違和感なく受け入れて くれた事に感謝しています。 |
私の代わりに、仕事を一手に 引き受けてくれた方にも、 復職を喜んでもらえ、一気に 気が楽になりました。 取り合えず、今回の闘病記は ここで終える事にします。 |
●振り返ってみて | ||
今の主治医の、「この病気の最大の薬は充分な休養である」という信念によって、私は回復できたのだと思います。 | ||
会社側からは復職のプレッシャーも有ったのですが、休職の診断書を書く事には、主治医は何のためらいもありませんでした。 | ||
また、商売っ気が無いようで、不要と思えば薬はどんどん減らされて行きました。診察時間も30分程度は取ってくれました。 | ||
実際のところ、転院前が一番多くの薬を服用していた時期で、悪く言えば「薬漬け」状態でした。 | ||
でも、大量の薬を服用していても、薬だけでは全然症状は治まりませんでした。 | ||
転院前のクリニックでは、1時間待ちの3分診療、という感じで正直なところ、薬を貰う為だけに通院していました。 | ||
この病気にとって、信頼の置ける医師との出会いが、実のところは最も大切なのではないか、と思います。 | ||
最後に、適切な服薬と充分な休養で、鬱は必ず治ります。 | ||
その為にも、早めに通院し、信頼できる医師の診断を受ける事が大切だと思います。 |