遠ざかる優しさに失望
鏡の中のよい子に苦悩 友達依存のアオイ
迷惑をかけている自覚はあった。重荷だろうとも思った。でもやめられなかった。「死んでいい?」「楽にさせて」。深夜に号泣し、繰り返す電話やメール。「好きだから生きて」。そう言うミホ(仮名)の優しさが命綱だった。まだ大丈夫。まだ見捨てられていない。そんな思いに、アオイ(同)はすがりついた。
北日本の女子高二年で同級生になったミホとは、すぐに気が合った。「性格も似ていた。細かい部分まで無駄に完ぺき主義で、他人の目が気になって仕方がない。社会に法則性を求め、理屈に合わないことが嫌いなのも同じ。鏡みたいだった」
鏡は違いも映し出した。自立心が強く、将来の夢もあるミホを見て、親の期待通りによい子を演じる自分を疑い始めた。一流大学や有名企業にしか幸せはないのか。自分らしい生き方とは何か。殻を破りたいのに、優等生の意識が抜けない。二つの思いがせめぎ合い、心は制御不能に陥った。
気がつけば、手首や腕を傷つけていた。制服のポケットにかみそりを忍ばせ、授業の合間にトイレにこもった。「流れる赤い血に許され、支えられる気がした。駄目な自分が生きるための免罪符だった」とアオイ。涙をこらえるだけで必死の日々が続いたが、不登校になる勇気もなかった。
孤独で苦しい夜はミホへの電話で泣き崩れ、根気よくなだめられた。「死ぬしかない」と思い詰めたメールには、「いないと寂しい。一緒に生きよう」と励ましの返信。自分は愛され、必要とされている。そう何度も確認し、お守りのように携帯電話を抱いて眠った。
翌春、状況は暗転した。別のクラスになったミホが遠ざかるのを一方的に恐れ、焦りと執着を書き連ねた手紙で戸惑わせた。死を望みつつ、必死でしがみつくような文面に疲れ、優しさをすり減らすミホ。電話が通じにくくなり、メールも激減。ストレスで保健室登校になっても、二人の親密さは戻らなかった。
信じていたのに。生きる希望をくれながら、放り出すなんて。十八歳の誕生日を前に失望が広がった。意を決して向かったのは、自宅のあるマンションの最上階。廊下の窓を抜け出て、外壁の突起に腰を掛けた。高さ約三十メートル。地上の人影が小さく見えた。
〈取材メモ〉
「思春期の悩み」と簡単に言うが、吹き荒れる嵐は想像以上に激しい。それを覚えている大人はとても少ない。
死の間際でしぼんだ興奮
着信拒否に取り乱す夜も 友達依存のアオイ
「本の最初のページに目を落とす時のようにワクワクしてました」とアオイ(仮名)は言う。飛び降り自殺を決意し、自宅マンションの最上階に向かった時の心境。「エレベーターの中でひどく興奮して、でも全く怖くなかった」と振り返る。
「死にたい」と「死のう」は大きく違うという。暗やみで手探りするような"自分探し"に疲れ、遠ざかるミホ(同)に疑心を募らせた日々。「何度も死にたいと思ったけど、すべてを捨て自分と決別するには、ものすごい覚悟がいる。何時間も泣いてそこを突き抜けると、死の解放感が心地よく思えてくる」
だが、飛ばなかった。
マンションの外壁のへりに、どのくらい座っていただろうか。いつでも人生に幕を引けたが、眼下には、緊迫感とは無縁の穏やかな日常が広がっていた。道端をゆっくり歩く人影。遠くで響く車の音。きっかけがつかめず、風に吹かれるうちに雨粒が落ち始め、興奮は急速にしぼんだ。
「私が死のうが生きようが、世界は何一つ変わらず、淡々と回る。そう思うと、むなしくなった」。死の間際でじわりと胸に満ちたのは、生きている実感。不意に視界が開け、それまでの苦悩が小さく縮んだ。「病気になって健康のありがたみを知るように、死ぬと決断して初めて、本当は生きたい自分が見えた」
ただ現実は厳しかった。約半年前から治療中だったうつ病が悪化し、呼吸困難、手指の震えなどパニック症状も併発。保健室登校が本格化した。心の病を理解せず、「高校くらい出ないと」で済ませる母にも失望した。
ミホとは疎遠になるばかり。自殺未遂をメールで報告しても無反応で、月に数回ほど「塾が忙しい」などと素っ気ない返信が届くだけ。「身勝手だと思ってもらって構わない。もう限界」という年末に来たメールを最後に、一切の連絡が途絶えた。
大学は皮肉にも自分だけ合格。入学後もミホを思ってメールを送り、着信拒否に気付いて取り乱したり、渡せないプレゼントを選んだり。雨の街をさまよったストーカー顔負けの夜もあった。
どこで間違えたのか。食事もせず、ひたすらベッドで泣き暮らした。「死ぬのが面倒で生きてただけ」とアオイは自嘲(じちょう)気味に笑う。
〈取材メモ〉
大切な友を支えきれなかったミホの傷心を思うと、胸が痛い。無力感にとらわれていなければいいが。
保健室登校
登校した児童、生徒が教室に入らず、主に保健室で過ごす現象。全国の中学校の半数に存在するとされる。学習や対人関係、体調などの悩みを抱え、教室にいるのが苦痛な子どもが養護教諭と雑談し、ベッドで休む避難所となっている。潜在的不登校と指摘する声が強いが、学校を完全に離脱するのを食い止めたり、不登校から学校復帰する際の緩衝材としても機能している。
見えてきた身近な優しさ
記念日にネット日記消去 友達依存のアオイ
この日と決めていた。波乱の二年半をつづったインターネット日記を消去したのは、ミホ(仮名)と出会って丸三年の節目だった。「メンタル系は卒業です。皆さんありがとう」。昨年春の最後の書き込みには、思春期の嵐を抜け、身近な優しさに気付いたアオイ(同)の喜びがにじんだ。
ネット日記を始めたのは高校二年の秋。"自傷系サイト"の老舗的存在「南条あやの保護室」に触発されたのがきっかけだった。抑うつ症状に悩み、自傷行為を繰り返す少女の日記に触れ、十八歳で急死するまでの生きざまに涙があふれた。
「死にたくて、でも必死で前を向く姿勢に勇気づけられた。私もミホに言えない思いを形にしたかった」。少女は死んだが、自分は生きている。彼女がやり残したことができるかもしれない。そう思うことが、今も生きる糧になっている。
日記の更新が滞り始めたのは大学一年の冬。不安定な感情のはけ口が日記から心理療法に移り、睡眠薬を酒でのむような生活を脱出した。責任や義務が重い大人になりたくない。自立などしなくていい。専門家の前で言葉を紡ぐことで、そんな自分の幼さも見えた。
最大の成果はミホの不在を受け入れたこと。「別の船に乗ってしまった。接点はない」との指摘に反発もしたが、思いを整理する中で精神的に成長。高校時代だけでなく、音信不通になった後も、ミホの優しさに支えられていることに気づいた。
寂しくて面影が浮かび、切なくてたまらなくなる夜は今もある。「でも彼女のおかげで生きてこられたのだから、情けない自分を認め、無理せずに歩いていこうと思う。これから生き直しです」
最近は身近な優しさが身に染みるという。乗り物で席を譲る人がまぶしく、エレベーターでボタンを押してくれる人に感動する。「前は台本通りに役をこなすのが人生で、自分も他人も機械のように感じてた。でも本当は温かく見守ってくれる人がいたんですね。やっと人間らしくなれた」
乳歯が抜け、永久歯に生え替わるような歳月だったと二十歳になって思う。「前は二十歳までに死ぬつもりだった。今はあと二十年は生きたい」とアオイ。いたずらっぽい笑顔が少しだけ大人びて見えた。
〈取材メモ〉
思いを言葉にして整理し、時間にもまれながら成長する。つらい体験を血肉に変えたアオイに生命力を感じた。
南条あやの保護室
手首を傷つけるリストカットなどの自傷癖や自殺願望がある女子高生が、インターネットで公開した日記中心のウェブサイト。抑うつ状態や自傷の体験を明るい文体でつづっている。筆者は高校卒業後の1999年春に大量服薬で急死。日記は「卒業式まで死にません」の表題で単行本になった。サイトは現存し、心を病む若いネット愛好家にカリスマ的な人気を誇る。
(山下憲一・共同通信文化部記者)