制御不能なこの世が許せず
劇的な死に救いを期待 大学相談室の高橋道子さん
自殺衝動と格闘する若者たちの姿は、悩みに寄り添い、孤独を癒やす"伴走者"の目にどう映るのか。三人に聞いた。
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感情や行動、人間関係など、自分に関係するすべてが思い通りにならないと気が済まない。自殺願望を抱える若者と接し、そんな"コントロール幻想"を感じているのは、臨床心理士の高橋道子さん。首都圏の大学で約二十年前から学生相談を担当。「メールの返信がすぐ来ないと動揺するなど、日常の小さな出来事に不安や恨みを募らせる人が目立つ」と話す。
努力は必ず報いられ、成果に直結すると考える傾向があり、試験で好成績を挙げても満足せず、「当たり前」と自分を評価しない。逆に失敗した場合は「そんなこともある」と考えられず、激しく自分を責めてしまう。
「うまくいかないことだって多いのが世の中なのに、そんな現実が理解できずに生きづらい。他人に認められたい欲求が強く、"その他大勢"になるのは嫌な半面、仲間に無視されたり、場の雰囲気を壊すことが怖く、自分から動き出せない」
中でも将来、男性優位の社会で働き、出産や育児も期待される女子学生の場合、社会の圧力も加わって、小さな挫折が生きる意欲を直撃しかねない。ダイエットの失敗から摂食障害と自傷行為を併発したり、就職活動の不調から抑うつ状態になってしまう学生もいる。
そんなコントロール幻想が破たんしたとき、視野に入ってくるのが自殺だ。「自分の意思で生まれたわけではないのに、存在意義は常に欲しい。でも生きる意味など簡単には見つからない。その結果、自分は誰にも必要とされず、この世に居場所はないと思ってしまう」
死の認識が軽いのも最近の特徴という。高齢化や核家族化で身近な人の死に接する機会が減った一方、テレビや映画、小説、ゲームには劇的な死が続々と登場。「人生に幕を下ろす高揚感にあこがれたり、つらい現実から逃げ出せそうな死の非日常性に救いを感じる人がいるようです」
ただ見逃せないのは、死の対極にある生の実感も薄れていること。「死にたいと言う人ほど死なない」は誤りで、今の若者は生への執着が薄く、有言実行型が多数派。放置すると、本当に死んでしまう恐れは強い。
「例えば自傷行為は、生きたいのに死にたくて、もがいているサイン。問い詰めたり説教するのではなく、つらさを丸ごと受け止めることが大切。家族に心を開けないようなら医師に相談するなど、とにかく軽視しないでほしい」と高橋さんは話している。
将来が見えず「消えたい」
煮詰まってネットの世界へ メール相談のロブ@大月さん
学歴主義のレールに乗っていれば、相応の人生が思い描けた時代と違い、高学歴のフリーターが大量生産される二十一世紀の日本。価値観が多様化し、「勝ち組」が幸せとも限らない。「不透明な世相の中で思春期を迎えた子どもたちが、自分の立ち位置も見失い、むなしい毎日を生きている」と、ノンフィクション作家のロブ@大月(おおつき)さんは話す。
「自殺願望」「リストカットシンドローム」などの著者で、自身も手首を傷つけていた七年前にインターネットにホームページを開設。計約二万人の悩みにメールでアドバイスを送ってきた。
相談者は圧倒的に女性が多いという。「死ぬと決めたら迷わない男性に比べ、女性はホルモンの影響などで精神状態に波があり、気持ちが揺れやすい。中途半端に悩んでいるようで周囲の理解が得られないのも、余計に苦しいようです」
思春期の少女が多用する「消えてしまいたい」という表現も特徴的だった。無理解な家族には頼れず、精神科医は投薬だけ。カウンセラーは話は聞いてくれるが、すぐに楽にはならない。誰も助けてくれない世の中に絶望し、自分の存在自体をなかったことにしたいらしい。
「感情の表現や発散が下手で、すぐ煮詰まるのも共通点。慎重に言葉を選べるメールはできても、電話は苦手。ネット日記に負の感情を吐き出す場合も語彙(ごい)が乏しく、何がどう苦しいかは伝えられない」。人間関係もネットに偏りがちだが、似たもの同士の交流からは、価値観を変えてくれる出会いは生まれない。
「もっとも人間関係の狭さは家族も同じ」とロブさん。核家族化と都市化で血縁、地縁が薄れ、閉鎖的になった親子関係が「濃密」と「空虚」に二極化しているという。
過保護な親は、友人や進学先など子どもの生活の細部まで干渉し、人生を取り上げてしまう。挫折や障壁に突き当たった子どもは「親のせい」と恨み、自分を粗末にしやすい。逆に親が仕事などで余裕がない場合、構ってもらえない子どもは見捨てられたように感じ、寂しさから前向きに生きる力を失うという。
「親は愛しているつもりでも、子どもには伝わっていない。『死んだらすごく悲しい』と根気よく気持ちを伝えるのが大切。自殺未遂を繰り返しても慣れずに、何度でも言い続けてほしい。親の本気を感じて目が覚め、絶望を乗り越えるケースは多いんです」
命がけのSOSに呼応を
見守るのは偽りの優しさ サポート校の島根三枝子さん
自分は大切にすべき存在なのか。生きる価値はあるのか。思春期の子どもたちは、親の愛情を再確認することで問いに答えを見つけ、自立に向かって歩き出すという。「不登校も非行も自傷行為も、巣立ちのための自己表現。親が向き合ってくれなければ、そこには見捨てられたような孤独感だけが残ってしまう」と島根三枝子(しまね・みえこ)さんは言う。
不登校の子どもを育てた経験を基に、八年にわたりフリースペースを運営。十年前に通信制高校サポート校「代々木高等学院」(東京)に移り、相談室長として揺れる十代の心を支えてきた。「引きこもり」「ニート」などの言葉が定着した近年は、子どもの問題に対する親の必死さが薄れた気がするという。
「過食、拒食も自傷も、最近の親は『ゆっくり見守ります』と物分かりが良い。でも一皮むけば偽りの優しさ。『いつかどうにかなる』と軽くみて、子どもの気持ちを理解しようとしていない。親子で育ち合う機会に背を向けている」と話す。
数年前までは子どものリストカットに驚き、自殺願望を告白され動揺していた親や教師たちが、今では放置してしまう。命がけのSOSを無視され、大量服薬、飛び降りと手段をエスカレートさせる子どもたち。「本当はすごく生きたいのに、何度も繰り返すうちに間違って死んでしまう子も少なくありません」
親たちが"思春期の嵐"を経験していないのが最大の問題という。右肩上がりの時代に十代を過ごし、親に大筋で従っていれば、大過なく大人になれた世代。生きる意味を考えたり、個性的な生き方を探し求めた経験もないため、無自覚のまま子どもを自分と同じような"よい子"の枠に閉じ込め、生き生きした感情を押し殺してしまう。
「自覚がなくたって立派な虐待です。幼い子どもたちは息苦しさの原因すら分からないままストレスをため込み、爆発する。当たり前です」と島根さん。爆発のエネルギーが内に向かえば自傷や自殺衝動に、外に向かえば親や幼児を狙った事件になる、と解説する。
その意味では、自殺未遂まで進んだ子どもには、自分らしく育ち直す好機が到来しているともいえる。「多くの親は"罪"に気付かされた時点で立ちすくんでしまう。どんな立場の人でもいいので親以外に理解者を見つけ、親を"見限る"ことができれば、子どもは嵐を抜けていけると思う」
(山下憲一・共同通信文化部記者)