私のうつ病闘病記

本サイトの管理人YASUの闘病の記録です。

出来事
心象風景
現在から見てのコメント
はじまり1995年1月〜   

 私はコンピュータ関連会社に勤めていましたが、このころの月平均残業時間は170Hrを越えていました。 
もちろん、サービスです。

 そもそも、きちっと仕事する時は仕事して、休む時はきちっと休むような仕事なら、月何時間になろうが、好きな仕事ですから、平気なんですが、この時の直属の上司がだらしない性格の人で、ずるずる、ずるずると休養もとらせないで、毎日遅くまで残業させるような人でした。 

 その頃の私は仕事が進まないのは全て自分の責任と思っていましたから、それに逆らえず、だんだんとストレスがたまっていったみたいです。 

 また、その上司は自分のストレスは部下を怒鳴りつける事で発散していましたから、私には本当に耐えられない状態でした。また、その上の課長も、長時間残業を見て見ぬふりをするような人でしたから、相談のしようもありませんでした。 

 そして、1995年1月20日頃だと思いますが、その日も徹夜明けで、朝礼に出ていましたが、途中で気分が悪くなり、視野がだんだん狭くなっていき、意識がなくなりました。 

 気が付いたら、床に倒れていて、周りを皆に囲まれている状態でした。 

 あとで聞いた話だと、突然ドーンと倒れ込み、左半身が痙攣していたという事です。 

 その日は大切なソフト検査の日だったのですが、救急車で病院に運ばれ、起立性貧血症という診断を受けて、そのまま帰宅してしまいました。 

 思えば、これが私のうつ病の始まりでした。 

 世の中は阪神淡路大震災が1/17に発生し、騒然としていた頃です。 

 

  

ちくしょう、だらだら、だらだらと残業させやがってと毎日思っていました。 

毎日毎日、上司を憎む気持ちでいっぱいでした。

他責しているところがダメだったなと思います。
そもそも労働基準法などを知ってはいましたので、自分が違法なことをやらされているという意識はあったのに、それに対して何も言わない自分も悪かったのです。
もちろん、言えるような雰囲気でなかったことも確かなのですが、だからといって自責する必要もなかったはずなのです。
視野が狭くなっていて正常な思考も出来ていなかったのでしょう。
休職期1 倒れてしまってからは、もう会社に行く気がまったく失せていました。というか、もういけないと思いました。 

もめにもめたあげく、それから3ヶ月間の休職を取ることとなりました。

やった、やっと休めるという安心感でいっぱいでした。

この時から精神科に通っていれば、またその後の状況は違っていたのかもしれません。
この時期は復職した時の事など、考えず、ひたすら休養していました。 

この頃は後で述べるような鬱症状はなく、仕事以外の事ならなんでも出来ました。

今でいう新型うつ病状態でしょうか。適応障害ですね。

復職期1 

4/21 

6/14

4/21から復職しました。 

休職など初めての事でしたので、最初は行きづらかったんですが、意を決して会社に行き始めました。 

最初に上司に長い間休職して迷惑かけたことを詫びましたが。それに対して返された言葉は無言でした。 

それからはもう、会社に行く事は苦痛以外のなにものでもなくなりました。

こちらは詫びてるのに、それはないだろう! 

病気になったのは貴様のせいだという被害者意識でいっぱいでした。

迷惑をかけたことは事実ですが、無言はないだろうと今でも思います。
まぁ、うつ病などにまだまだ理解のなかった時代です。
退職願い 

6/15

もうとにかくこの会社にはいられないと思いました。 

6/14に退職する事を決めて6/15には課長に退職願いを提出しました。

もう、この会社に一時もいたくない気持ちのみでした。 このころの私はもう、正常な思考をなくしていました。
部署移籍 

6/28

課長は退職を少し引き留めましたが、数日後には受理する方向となり、退職の手続きを取ることとなりました。 

ところが、その上の本部長が直前でストップをかけてくれました。 

その後、会社のカウンセラーや本部長に骨をおっていただき、退職はしないで、他の部署に移籍する事を勧めてくれました。 

私はその勧めを受けることにしました。 

そして、6/28より他部署に移籍して、不安はありましたが、また新たな気持ちで仕事を始めようと思っていました。 

しかし、もうこの時の私は前の部署で仕事していた時の自信をまったくなくしていました。

正直、退職後の事など、何も考えていませんでしたので、救われた気持ちでした。 あの時、退職していたらと思うとぞっとします。  何の先の計画もないのですから。

でもまだ1995年の事です。
2001年現在ならにべもなく、「あっそっ」で退職願いは受理されていたでしょう。
病状悪化時期

1995/6

1999/8

自信をなくしていた私ですが、また新たな仕事で自信をつけようと思っていました。 

しかし、不幸にも移籍先の上司がまた、問題のある人でした。 

とにかく、部下に対して、仕事の方針等の適切な指示をしないで、どなりつければ、部下が勝手にやってくれるものと思っている(というより、どなりつけるしか能がない)人でした。 

私はどうやら、その上司と部下との橋渡し的な仕事を期待されていました。 

しかし、私自身は、また部下の一人となって、一から自信をつけようと思っていましたから、うまくいくはずがありません。 

その上司と部下の間にはいって悩むはめとなりました。 

それがつらいため、休む日が多くなりました。 

この時期、つらい時には動悸が激しくなったりしていましたので、身体的に何か問題があるのかと思い、病院で心電図や負荷試験などを受けましたが、特に身体的な異常は見つかりませんでした。 

メンタルな部分から来る症状だと思い、町医者の心療内科に通い始め、心身症と判断され、精神安定剤(ドグマチール)を飲んで、暮らす日々が始まりました。 

この約4年間、ちょっと仕事をしては休み、またちょっと仕事をしては休みを繰り返しました。年に2、3回は1回に2週間ぐらいの休みをとっていました。 

上長も何度か替わりましたが、私の状態は良くなりませんでした。 

薬もちっともきいている気がしませんでした。 

私が突然休むと、仕事はもちろん中断しますので、周りに迷惑ばかりかけていました。 

それでますます、自信がなくなり、また休み、のくり返しでした。 

そして、もう限界だと思いました。 

会社をやめよう、でも経済的な理由からすぐにはやめられない。あと2年なんとか我慢して勤めて、貯金して、資格を取るための勉強をし、新しいスタートをきろうと、具体的に会社を辞める計画を立て始めました。

とにかく、もう自分は何をやってもダメなんだという思いばかりの4年間でした。 

会社をやめたい、でもやめたらどうなる。 

会社に行かなければ、でも行きたくない・・・ 

毎日が心の葛藤との戦いでした。

完全に自信をなくしていた時期です。 

もっと早く専門の精神科医に通って抗うつ剤を飲んでいたらと思います。

病状最悪化時期

1999 9/11

突然、部署を移る事になりました。 

また1からやり直しかと、心は不安感でいっぱいでした。 

でも気力をふりしぼって会社に来てました。 

そして、新しい部署での歓迎会がありました。 

その翌日の朝、悪魔が襲って来ました。 

いままで経験した事のない、ものすごい絶望感です。 

もう死のうと思いました。

もうだめだ、もう何もできない、死ぬしかない、もうダメだ。 こんな感情は初めての経験でした。 
今、思うと貴重な体験だったかもしれません。
実際近くの踏切に行こうと思いました。
でも、ベッドから起きあがる事もままならず、助かりました。

あの絶望感は経験した人にしか絶対に判りません。
医師もカウンセラーも本当の意味で判っている人はいないと思います。
休職期2 

1999 9/14

2000 2/20

娘の、妻への思いから、死ぬことは出来ませんでした。 

でももう、会社には絶対行けません。 

すぐに5ヶ月間の休職手続きを取りました。 

休職期1と違い、休んでいても、常に絶望感があり、つらい毎日でした。 

心療内科にいくと、初めて、うつ病と診断されました。 

抗うつ剤(ルボックス)を処方されましたが、特に効果は認められませんでした。 

起きている時間が苦痛な為、昼間から酒を飲んで、意識を朦朧とさせていました。 

毎日がだるくつらい。

意識があること自体が辛い。スイッチを切りたい。
この頃は起きている事自体が常に苦痛で、寝る時間になってやっと気が楽になるという毎日でした。
でも目がさえて寝る事もままなりません。
酒を飲んで意識を混濁させなくては耐え切れませんでした。
復職期2 

2000 2/21

2000 

6/20

とりあえず、復職しましたが、つらい毎日は変わりません。 

医師にとくかくつらいので、何とかしてくれ、と泣きつきました所、専門の精神科医を紹介され、そこに通院しながら、仕事はつづけていく事となりました。 

毎週精神科に通い、薬の処方を色々と変えながら、なんとか仕事を続けていました。

   やっと、本格的な治療を始めた時です。
うつ病が疑われる場合は、とにかく精神科の専門医に最初からかかるべきです。
ひらめきの日 

6/21

そして運命のこの日が来ました。 

その夜、寝ながら色々と考えていた時に、突然、ある考えがひらめきました。興奮して、その夜は眠れませんでした。
忘れないうちに、その考えを書き留めようと、飛び起きて、机に向かいました。

この世の全てが明らかになった気がしました。
絶望感が嘘のように霧散しました。 

涙が出ました。
涙が出て止まりませんでした。

ああ、これで解放されるんだと思いました。 これも初めての貴重な経験でした。
今思い出しても信じられません。
一晩で解放されるとは。
人間の精神のバランスが如何に綱渡り的なものであるかを実感しています。 

このときにひらめいた考えをトップページの「私のひらめき体験」に載せています。

そして 

2001
2月
現在

あのひらめきは薬による一種の興奮状態で起こった物だと思っています。 

今はあの時の高揚した気分はなくなり、また現実世界で、あくせくと働いています。 

でも、自分に対しての価値観が以前とは180°変わりました。 

この価値観を維持出来る限り、そんなに落ち込む事もなく、過ごして行けるだろうと思っています。 

やりたい事も色々と出てきました。 

本ホームページもそのひとつです。

    


 その後  価値観が変わったために、うつ病の時は会社を辞めるか辞めないか葛藤がすごかったにも関わらず、あることが原因で、もうこの会社はだめだ。辞めようという決心が比較的安易に固まり、長い間お世話になった職場を辞めることになりました。
当然、家庭にも影響が出ました。価値観の違いから離婚にも至ってしまいました。
その後のことはプライバシーに関わるので、書きませんが、後悔はしておりません。
そういう人生の転換点にいたるのも、うつ病の厳しいところです。
そういう結末になったことの是非は皆さんのご判断にまかせます。


  例え、周囲に理解はされなくとも、恨まれても、命を拾うには何か代切なものを手放すしかないこともあるのです。
何故なら、 死んだら、全てが終わり。
離婚するよりも周囲の人々を苦しませ、悲しませたことでしょう。